東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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家を建てて、ここさ住みてえな

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  • 話し手: 芳賀藤一さん
  • 聞き手: 吉野奈保子
  • 聞いた日: 2011年7月9日
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丁稚奉公して大工になった

 芳賀藤一(はがとういち)です。昭和22年4月17日生まれ。64歳。家族はオッカアと娘二人です。娘は二人とも嫁いでる。一人は盛岡で、もう一人は小槌の保育園さ、勤めています。

 職業は大工だね。最初は家、建てる仕事だったの。そのあと、どうせ自分で建てるには、基礎もやった方がいいだろうって感じで。20年ぐらい前から、基礎もやった。最初は機械が高いくて買えねえから、手で掘ってなんてなあ。

 盛んにやっているときは、年がら年じゅう人がいて。一番忙しいときで、大工さん、20人近くいたなあ。人数が余れば、よその仕事、下請けで入ってみたいな。でも、だんだん仕事が少なくなった。

 

 昔は、吉里吉里は漁師が多かったんだね。親父も漁師だった。金もとれた時代だったし。

 なのに、なぜ、大工になったかというと、最初、船に酔ったんだなあ。酔うてはあ、腹の具合悪くなって。車に酔ったみたいに。それで親父が、おまえは大工になった方がいいでないかって。

 で、中学校終わると、隣の浪板の大工に丁稚奉公さ、入った。俺の場合は丁稚奉公っていっても、うちから通っての丁稚奉公だから。車ある時代でねかったから、冬場でも自転車で通っていくわけだ。仕事終わって、うちさ戻ってくれば、とにかく夜のうちにノミさ、研いでおかねばなんねえ。次の日、朝行って、とにかくちゃんとなってねえば怒られる。夜遊んで何もしてねえべっつう感じだからね。

 古い家ほぐしたやつから材料集めれば、釘が入っていて。こんだ、刃がこぼれたりするわけだ。それを研ぎ方、悪ければ、親方、ツチ持って、わざわざ歯欠かれるのさ。それ、刃がつくまで研がねばねえわけさ。そういうのが大変だったわけね。

 今の弟子はそういうのしないで、既製品で売っていれば、道具、取り換えればいいけども。昔はノコも、ノミも研ぎ方悪ければ怒られる。とにかくはあ、怒られるわけさ。

 

津波が来た日

 津波のときは、仕事で岩泉さ行ってた。岩泉さ行く道路、そっちの方さ行ってたっさ。地震があって、津波警報だっていうんで戻ってきた。山田の大沢口ってとこ来れば、海が近いから、通ってこれねえなあと思ったから。小国さかかって、土坂峠を下って金沢、で、大槌まで来た。あと少しでバイパス通り、何キロか手前ぐれえ。そこに、もう波は来てったんだね。前に水がいっぱいあるわけさ。

 走ってきたときはさ。電波通じねえし、津波きたと思っていなかったの。大槌川って大きな川あるから、川沿ってなんぼか、津波がきたんだなあっていう感じだったんさ。だから、もう少しいけば、道路、開通になるんでねえかって。わからねえから、簡単なほれ、そんな考えだった。で、30分ぐれえ待ってて。そしたら今度は火が見えたきた。火事だって。道路さ、ふさがれてっから行かれねえわけさ。で、車は置いて歩いていくべしって、山沿いさ歩いて、安渡小学校のあたり出はったんさ。それからずーっと歩いてはあ、疲れたんだなあ。ちょうどタクシーあったから。タクシーで行かれるところまでって乗せられてきた。

 で、吉里吉里さ出たら、がれき、あるわけさ。なんだこれはって。これは駅の方、回るしかねえって。駅さ回っていきながら、ああ、おらいの家さ、ねえんだなあって思って。

 

吉里吉里小学校でオッカアと再会

 小学校さ着いたらば、オッカアが避難していた。小学校は人いっぱいで。おら、入れられねかったもんねえ。校庭にバスが停めてあって、そこで一晩、明かした。

 

 翌日は作業場が山の方だったから、作業場行ってみるかなあって。そうしたら作業場も全部、機械もはあ、ひっくり返って。バックホン2台、それに軽自動車さ、4台いたったんだけれども、全部ひっくり返って。山さ土崩したとこに、バックホン1台だけいたった。で、道路つけっかって。自分でまず、がれき片付けて、道路つけやったわけさ。それから20日間ぐれえかな。毎日、作業。とにかく道路つけねえとって感じだったからね。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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