東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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家を建てて、ここさ住みてえな

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  • 話し手: 芳賀藤一さん
  • 聞き手: 吉野奈保子
  • 聞いた日: 2011年7月9日
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男たちは、がれきを撤去した

 最初は、ヘリで物資でもなんでも来ると思ったんさ。だからヘリポートから小学校まで道路をつけようと思ったんさ。一日ぐらいで小学校までついて。それやって、「次は国道をしましょう」って。こんだ、沖さつながる道路、車で物資運ぶ道路通さねばならねえ。それで国道通したの。

 道路つけは、まず、みんな協力して。避難所にいる人たち、100人は出はったんでねえかね。ダンプさいっぱいのせて、あとは歩いていくって感じだったからね。

 年のいった人もみんな出はったんだよ。みんな男は、とにかく、がれきさ行って、機械つけられねえところは長いロープさつけてひっぱって。重機は小さいのが1台か2台、その程度さ。

 自衛隊が来たのは1週間後ぐらいかな。そのときは、あらかた国道も通したからね。今の漁業組合のところ、あのへんだけ残ってたんでねえかな。あとは細いところも、とにかく車1台でも通れればいいっていう感じで。ほとんど除けてきた。

 

 まずね。吉里吉里は、これをやるなら、いざっていう感じで、みんなまとまっていくからねえ。今回もそういった感じ。他は頼れねえし、まずは自分たち出て。それしかできなかったね。

 で、いつもだいたい4時頃だな。学校さ戻って、まず関係した人たち、みんなよって。衛(まもる)が「今日はここまできたから、明日はここからしましょう」って感じで。

 現場さ、遺体があれば、衛が警察さ届けた。出すまでが早かったから、顔みればだいたい、どこの人だってわかるわけだ。衛はあっちさこっちさ呼ばれて、一番大変な役してしまったんだね。まずは道路つけながら、遺体探しだったから。

 俺は兄貴が夫婦で亡くなった。あと、叔母様もすぐに亡くなったからね。でも作業さ出て、歩くことはできねえわけだ。重機、ずっと一日。手でも足でも見えたら機械の方はストップして。全部ガツっとつかまれねえわけさ。ちょこっとずつ、どこやっていけば崩れるか、見ながらせねばならねえからね。邪魔になるところは手で除けて、そして遺体出してっていう感じだったからねえ。

 

お米もガソリンもみんな分けあった

 食事は、最初のあたりは、朝、おにぎり1個かな。まあ、腹も減ったどもね。まずね、吉里吉里は、みんなで分けあったから、良かったんだね。

 最初の晩、藤本君がおら家さいって、米持っていけって。米、何人か行って、かついできた。それさ、翌朝、おにぎりになったんだべね。そうやって最初は個人で持ってきたんだ。おれしか食べねばねえとかって、持っている米さやられたら、みんな大変だったんだ。

 小学校では、最初から炊事、女の人たちやったからねえ。女の人たち、朝4時だのなんだの起きて、200人近え人たちの食事、準備した。3月っていえば、まだ寒かったし、暗いときだもんね。発電機まわさねばならねえ。灯油なり、燃料がねえば、何もできねえもんね。

 

 吉里吉里にはガソリンスタンドあるんだども、そこに正彦さんが働いていた。それで、タンクに油が残っているっていう話になって。まず灯油を出した。最初はバックホンさも、灯油積んだのさ。軽油がないから。あとから軽油もあっからって話になって、ガソリンから軽油から灯油から、全部使っていいって。金額にしたら何百万か出ただろうね。あと、川勝商店からもガソリン使っていいって。

 タンクから油、吸い上げねばならねえから、若い人たちも手伝って。何人か交代で昔式の手押しポンプで吸い上げて。ポリ容器さ入れて現場まで運んだ。あとから、町からも「詰めてください」って来たんだけれど、「あくまでもこれは吉里吉里で使う油だ」ってことで、正彦さん、絶対、よその人にはやらねえ。そのおかげで吉里吉里は早く道路がついたね。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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