東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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人生は山あり谷あり。

死ぬまでにプラスマイナスゼロになってりゃいい。

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  • 話し手: 釜石稔さん
  • 聞き手: 福島空
  • 聞いた日: 2011年7月9日
  • 003/101
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子どもたちの遊び?獲ったり、盗ったり?

遊びっていえばさ、戦争ごっこ。あとは、海に行けば皆は、上手な人は、素潜りでそれなりに。みんなそれなりに。今みたいに1個5万円とかの罰金でもねえしさ。当時から規制はあったんですよ。だけど周りの大人もさ、「よそもってかねで食べる分だけ獲れよ」ってさ、皆おおらかな状態でさ。俺はふつうにね。泳ぐ程度でね。悪さはとにかくあまりしなくても、ものは手に入る立場だったから、身体が弱かったから。でも周りはちゃんと、今みたいに意地悪するものもいなかったし。それに自然のものはみんなでわかちあい。

あと一番子どもの頃、よく同級生はみんなやったんだけど俺経験のねえのは、りんご泥棒だけねえんだ。ここら辺はりんごはどこでも作ってた。小学校の通りにある果樹園なんかちょうどね、あそこのおやじなんかいつも怒鳴って、だって手の届くところハ、収穫にならねんだ。昔はね。そういうのを俺の同級生はとるわけだ。だけど、俺はうちにもう食べきれないくらいあるし、親戚は皆どこのうちでも果樹園やってたから、だまってても「ほれ、勝手にとって食べろ」って。

 

体の弱かった子ども時代 ―生死の境を彷徨ったことも―

子どもの頃はどうしようもなかった。生まれはきちんとしてたんだけどさ、満一歳の母親の免疫がなくなっとき、あの当時急性感冒っていうのが全国的にはやっててさ。大事にされすぎてさ、なにしろ50年ぶりの男の子だから、両方のうちのさ。高熱で目もやられたしさ。そのとき頭さ上がったりとかいろいろあったのさ、あちこち。だけどま、運良く助かったような形だ。

だから小学校5年までは、午前中具合悪くて、今の大槌小学校のすぐ前の、あそこの病院にいてさ、今日午前中調子いいなーと思って学校行ってもお昼頃になると、具合悪くなって。ずーーっと小学校4年生までそういう暮らしをしてた。1歳の頃なんか、いま死ぬところだからって、医者なんて相手にしない。まだ生きてたのかって。お医者さんたちがよくスクーターで山道をトコトコトコって。

 

ようやく元気な子どもになって…

生きてげるような形になったから、小学5年から祖父の家に入った。生まれる前からの約束だから。別に疑問も感じなかったけどな。ただそういう運命だと。ただいい気分では無かった。だからおふくろは俺に対して申し訳なかったとか。おふくろが最期になって病院で看病されてる時にさ、俺が看病につくと遠慮して静かになんだけど、あとの連中がつくともう暴れ放題暴れたらしんだ。俺に対しては申し訳ないという気持ちなんだべと。蜘蛛膜下だったからさ。俺に対してだけ、遠慮があったのかもしれない。おふくろは満で言えば74歳だった。女にしてはちょっと早かった、ちょこっとね。たくさんだていえばたくさんだけどさ。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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