東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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魚釣りが大好き

たくさん仕事を引き受けてしまう親分肌

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  • 話し手: 平野栄紀さん
  • 聞き手: 大崎智子
  • 聞いた日: 2011年7月9日
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そしてこれから…

 この仕事は身近な地元の人たちと密着してるわけですから今の仕事で十分です。60歳まであと3年ですから、ゆっくりのんびりとやればいいんだし。ただ自営業ですから、年金が国民年金でしょう? だから将来年金が6万くらいしかもらえないからねぇ。我々の仕事は70歳くらいになっても仕事している人がいっぱいいますから、体さえ丈夫で動ければ死ぬまでこの仕事できるからね。それから津波で家がなくなってるからね。建てて10年だったから、あと15年くらい住宅ローンが残っているわけだし。あとは息子に期待するしかないね。息子に家を建ててもらって息子の家に入れてもらう。やっぱり息子には「お前は長男だ。いずれは親の面倒を見ねばなんねぇんだよ」っていうふうなことでしつけをしてらった。私も長男で親と一緒に暮らしてるんだし、息子もそういう考えでいるわけだし。ただ長男は「親父も働けるうちは働けよ」って言ってます。

 子ども育てるときはやっぱり結構お金かかりましたから、昼損害保険の仕事して、夜タクシーのアルバイトしたりね。そうやって3人の子どもたちを育てましたよ、寝ないで働いて。若いときにはがむしゃらに仕事ができたよね。で、今がね、子どもたちも大きくなったし、自分の趣味の魚釣りもできるし、これからはほんとのんびりとした暮らしをね…。だからもう、津波が来たっていうのは、すごーく悔しくてねぇ。来るというのは分かってらったけどね。ここ何年以内に絶対来るよって予想ができてらったんで、来るのは分かってらった。そのためにいろいろ会議もあったんでね。大槌町の防災会議もあったし、地区の防災組織みたいなの作って立ち上げたり、各地区の防災倉庫に発電機、非常食、毛布とかを保管してたり。すぐ来るとは思ってなかったけれども、いずれ来るっていう意識はありましたよ。それがあんまり早く来たもんねぇ、あんまり早く来過ぎた。

 明治29年と昭和8年の津波は地区のこの辺まで来たとか、そういう話は聞いてた。だけど当時は防波堤とかそういうようなのもなかったし、今は防波堤があるから来ないんだって意識の人もいた。だけど今度のは堤防も壊して来てるし、予想を越えるとんでもない津波だったんで。来るとは分かってたけど、こんなおっきいのとは思ってなかった。

 そして地震ですぐ停電になったでしょう? 町の防災無線も2回聞ごえたか…。だから逃げるときってのは、車のラジオだけが頼りですよ。何メートルの津波が来るとか、全部逃げる途中の車のラジオだけの情報ですよ。もし自家発電装置があれば、もっといっぱいの人に広報できたでしょう? だから町自体がね、我々には防災対策をしろと指導する割には、危機意識が欠けてらった。自分たちの足元っていうのが全然お粗末だった。

 この避難所の隣に給食センターがあるんですけれども、これなんかも今年できたんですよ。オール電化で立派なものができた、津波が来てもみんなに食料配給できる、って触れ込みだった。オール電化って地震になればどうなります? 自家発電の装置すらないんですよ。電気がなくなったら自家発電て考えがないとダメでしょう。そういうようなところが悪いんです。これがダメならこうするこれがダメならこうする、っていうね、次の手次の手、ってのを全然考えてないんですよ。ちょっと考えれば気が付くことでしょう? これ作ったからいいだべって。立派なもの立派なもの、ってだけ強調されたけど、実際には大事なものが欠けてらったんです。

 ただこれからはそれじゃあダメですね。こういうふうにしたほうがいいんじゃないかって、こっちから提案はしようと思ってます。

 

【プロフィール】

話し手:平野栄紀さん

損害保険の代理店業を営む。吉里吉里1丁目の町内会長であるため、震災後の災害対策本部のメンバーとして、道路の確保・食料の配布・住民の安否確認などに奔走される。

聞き手:大崎智子

NPO法人共存の森ネットワーク・インターン

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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