東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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絆が支えた被災者支援

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  • 話し手: 前川笙子さん
  • 聞き手: 三原岳
  • 聞いた日: 2011年7月31日
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自己紹介―震災当日は大槌地区に

 名前は前川笙子(まえかわしょうこ)。仕事は主婦です。民生委員もやっています。生まれは岩手県沢内村って内陸で、車だと3時間ぐらい。昭和21年7月20日に生まれて、今は65歳です。昭和43年、吉里吉里出身のお父さんと結婚し、吉里吉里に来ました。お父さんは製鉄会社の会社員。平成12年に亡くなり、今は釜石市の企業に働く長男と妻、孫と一緒に岩手県大槌町吉里吉里4丁目に住んでいます。次男夫婦、孫も家の近くにいます。家はコップだのが落ちて壊れたりしたども、4丁目はほとんど流されてないから、津波とは無縁だったです。震災当日は大槌町の祭事場に手伝いに行ってたんだべす。近くの川に津波ががれきと一緒に上がって「どうすんべぇ」と思って。普段は大槌まで20分掛からないけど、山超えて家に帰ったのは8時近かったんだべかねぇ。全然、携帯は繋がらない。みんな「私はもう死んだ」と思われてました。その後、家は嫁さん任せて、朝から晩までお寺さんの避難所に行って炊事を手伝いました。吉里吉里は町内会がしっかりしてあるんで、連携は取れたと思うんです。和尚さん達を中心に役割を全部割り振りして責任持って動いてました。「地域が一つになって事をやるのは本当に大事なことなんだ」って、つくづくそう思いましたね。

 

山越えで6時間の帰宅に―途中に山火事、被災者救助

 結婚した年に津波。あの時は十勝だったっけな。初めて津波見ました。全然分かんないから、「何であんな慌ててるのかな」と思いました。お父さんは製鉄所を夜番で帰って来る時で、汽車も途中で止まって。友達と二人で線路を歩いて帰ったんだって。そうしたら、細い沢の水も全部火だったんだって、「たまげて髪の毛全部立った」って言ってました。あん時も結構、養殖なんかも被害に遭ったって。津波は30分とか時間があるんで、漁師の人達、「海が引いたうちにホタテ取って来た」「赤貝拾った」とか(笑)。お父さんは平成12年に亡くなった。それまでおじいちゃんが養殖関係と店もやってだったし、そっちの方を手伝ってました。養殖はワカメとか海苔が主だったね。ロープみたいなのにタネを吊るして。秋にタネを撒くんですけ。それを海に入れて春先、1年に1回収穫です。海苔も1年に1回なんだけど寒い時だったね。2?3年して止めちゃったんですけ。台風来たりすると被害になる。おじいちゃんも年も取ってきちゃったし。店は雑貨屋。おかず類とか石鹸類とか、たばこ。おばあちゃんがその店やってるのを手伝って。自動販売が多くなってから来る人少なくなって止めました。

 被災当時はね、大槌に祭事場ってあるんですよ。親戚の人亡くなって、3人で手伝いに行ってたんだべす。川に津波がもう上がって来ました。揺れも怖かったです。立ってられなくて、生まれて初めてだった。大きい地震が1回最初。次に収まって中に入ったか入らないうちに大きいのが来たから、「いやぁ、こんでば正常じゃない」って。3回ぐらい出たり入ったりしましたわ。大槌では新しくて立派な大きな水門できたんですよ。「でも、あれ超えて、ここさ来たら、もう大槌町は全部だめだぞ」って、一緒にいた消防署の前署長さんが言ってたんです。一波が来て落ち着いて、車で一旦上に避難したったけど、また車で下りてきちゃったんです。「じゃあ、国道に出て、帰っぺし」って。もうそこは全部水でしずまってました。「もう絶対国道さ、もう何処からもここからは出れない」って言われて。言ってるうちに、がれきの中に人が挟まってきちゃったんです。消防署の人が5?6人の人と一緒に綱で結んで助けて。もう我が身を忘れて、「頑張れ、頑張れ」って。助かった後、喜んで大騒ぎで。この葬祭場にいるうちに、第1回目のガスの爆発した煙が2ヵ所からもう上がったったで。「あぁ、火事が出た、どうすっぺ。大変だね」って。その時は私達がいる地区に消防車もあったんだけど、全然行けねぇんです。もう水だべす。遮断されてってです。もう本当に見てるしかないんだっけもん。

 孫を置いてっちゃったから。どうなってっか、あっちも心配。なんぼいてもだめだから「山越えて帰ってす」って。細い抜ける道路をトラックと4台で、行く途中も太い木倒れてたったり。大きな石が崖崩れで落ちて道ふさがれてたったりしたんだけど、みんなで除けて除けて。その時、大槌町は全部水で埋まってましたよ。もう屋根がプカプカ浮いて。凄い山火事もボウボウ燃えて、風で上の方に煽って来るんですよね、「ここにいちゃだめだから」って車で移動で。川ね、全部ヘドロみたいなのが上がってて。車でちょっと入ったけど、「じゃあ、ここからもう歩くべし。車もここさ置いていくべし」って。そうしたら吉里吉里の若い男の人が車を脇に止めたの。その人も盛岡から来たって。「じゃあ、4人で歩くべし」って。私達も車で行ったから薄着で行ってるわけっす。本当に割烹着だけ。雪はどんどん降ってくるし。4人で歩きました。国道に出たらば、「助けて下さい」って人いたんです。「じゃあ、助けてくるから」って男の人達二人行って、私達さ「道路で待ってろ」って。雪は真っ白にどんどん降ってっし、波がドボドボっと来るし、「生きて帰れっるべかね」って。そんな寒い中にも60前後のお父さんとお母さん、「食べて下さい」っておにぎり持って歩いてました。知らない人です。その辺の家の人だった。辺りはもう火の海だべす。ガスボンベが爆発してってす。戦争のようでした。「こんな時もこうやって歩いてける人いるんだなぁ」と思って、本当にみんな泣き泣き食べました。涙のしょっぱさなんだか塩なんだか、しょっぱくて食べれない。本当にありがたかったです。そこに吉里吉里の知り合い夫婦が車で来たんです。

6時間かけてたどり着いた吉祥寺の避難所

娘さん見に来たみたいで、「ここからもう通行止めで入れないよ」って。その男の人も助けに行って車に乗っけて貰って寒さはしのぎました。救助は1時間くらい掛かったんです。ずっとずっと歩いて帰ったらば真っ暗でした。8時近かったんだべかねぇ。傷ついた人二人連れて、「吉祥寺(きっしょうじ)」(=吉里吉里4丁目の寺)の避難所にたどり着いたったのす。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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