自分たちのことは、自分たちの手で

- 話し手: 東谷幸子さん
- 聞き手: 冨永朋義
- 聞いた日: 2011年7月31日
- 006/101
ワカメの水揚げ(写真は大槌町と隣接する山田町、田の浜漁港)
あと、「何か得るものがなかったらば、地域の団体に出てくことはないよ」ってお父さんに言われたったんです。普通のお父さんだったらば、「まあ行ってこい」っつうことでしょうけどね。「仕事の時間使って行くんだから、何か得るものがないとダメだ」っていうんで、私も意地になって何か得ようとしたったの。それをわかってくれたのか、黙って出してくれてるし、ありがたいなと思ってさ。その厳しい中でやってきたことがよかったかなと。そういうことを常に言われてたことが普通になって、そうやることが自分のためにもなったし、だからそれがいいことだったのかなと。私、岩手県で女性ではじめて指導漁業士になったんですけど、いろいろ発表する場も設けてもらったりして、そういうときにやっぱり私は恵まれてるなと思います。
あと、年いったおばあさんの介護もしたし。疲れたなぁと思って浜から帰ってきて、普通の家庭だったら、ご飯の仕度して、みんなに食べらせて、それで終わるんですよね。でも、おばあちゃんの面倒を見なきゃないので、もう一仕事残ってるなって。今日はつらいなと思ったことも何ぼもあったんだけど、いま考えると、やっぱりいいことをやらせてもらったなと思うしね。だから、みんなに介護の話、「こういうとき、私はこうやったったいよ」とかね、そういうアドバイスできるっつうことは、自分さ身についたものだなと思ってます。みんな、幸子ねえさんって慕ってくれて、愚痴も言ってくれるし、それをグッと受け止めることができるのは、やっぱりお姑さんに仕えたことがいい経験になったんだなと思います。
避難所にいるうちは精一杯やってるけど、いざ仮設に入ると、いやぁ、ほんとうに仕事はどうなるのかなとか、それはね、やっぱり心配ですね。家も建てなきゃないしと思うと、どうして……どうして建てんのかなと。前の家を建てるときも、すごく苦労したったんでね。その苦労がまたもう、やっぱりそれ以上苦労しなきゃ食べられないなと思うしね。だから、どうしようかな。精一杯働かなきゃ、やっぱり金取らなきゃないしね。
養殖業。みんなから、幸子ねえさんと慕われている避難所の料理番。小さい頃から勉強熱心で踊りも大好き。青年会で出会った漁師のご主人と結婚。暮らしの体験をすべて糧にし、まわりへの感謝の気持ちを持ち続けている。
公益財団法人 東京財団 ディレクター