東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

暮らしを語り、想いをつなぐ。

お問い合わせ

みんな、また住みたくなると思う

010-top
  • 話し手: 芳賀廣安さん
  • 聞き手: 佐伯哲也
  • 聞いた日: 2011年7月10日
  • 010/101

自己紹介

 私はね、芳賀廣安(はがひろやす)といいます。61歳になります。昭和の25年生まれ。寅年です。1月の28日生まれ。きょうだいは兄貴いまして、私いまして。弟、弟、妹、妹だったんだけど。弟が一人亡くなって、妹も一人亡くなっています。子どもはね、3人いました。長女がね、大船渡に嫁にいったんで。次女は嫁さんになって神奈川に行ってます。3番目も勤めで神奈川に。3人とも娘です。

 定年退職は2年前でした。仕事は普通。営業マンです。52歳までが釜石勤務。60歳まで気仙沼。油とか、ガスとか、建設資材とか、いろんな物を取り扱う商社だった。2年前退職になって、吉里吉里で、うちの家内が料理屋さんしてたもんだから、お料理の準備ていうんだか、座敷のお膳なんか揃えたりやってました。家内は23年間ここ(吉里吉里)で仕事してました。それまではね、別の場所。浪板海岸で、やっぱり同じような料理屋さんやって。海水浴客も含めての店ですから、宿泊施設もあって。そっちをやめてしまって、こっちに来てもう23年になります。

 

生まれも育ちも吉里吉里

 生まれてからずっと吉里吉里です。61年間。おやじは漁業してました。兄貴とは一時一緒にいた時もあったんだけど、途中で別になって。事情がちょっとあってね。兄貴は会社に勤めに出て、私のほうが、継いだんです、跡を。

 小中は吉里吉里。同級生は100人ちょっとだと思いますよ。小学校も中学校もね。今残ってる人たちは、男女合わせると20人までいるかいないか。割合的には、残ってる方だと思いますよね。高校へ行くのは全部が全部じゃないな。残ってすぐ仕事を始める、漁師もあったし、東京まで集団就職ってのもあったしね。

高校は釜石北高等学校。普通科です。A、B、C、D、E、F、G、Hまで、8クラスあった。40人ずつとしても、320人くらいいるんじゃねえかな。津波で流されましたけどね。大槌入って、次が片岸って、全部流れたとこあって。その奥のほうが釜石北高等学校のある鵜住居(うのすまい)って町なんです。その釜石北高等学校に3年間。無事に卒業しました。汽車で通ってた。その当時はみんな汽車しかないんだもん、ね。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
「聞き書き」とは 詳細はこちら 一覧はこちら