東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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みんな、また住みたくなると思う

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  • 話し手: 芳賀廣安さん
  • 聞き手: 佐伯哲也
  • 聞いた日: 2011年7月10日
  • 010/101
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家業の漁師を継ぐ

海山に囲まれた吉里吉里漁港

 高校卒業して、最初は家のお仕事を始めました。船の機関士さんの免許持ってるし。定置網で、場所は5ヶ所くらいあったんだけど、浪板前、金ヶ崎、仲網とかあって。ほんとに近いところの湾内で、吉里吉里からもう見えてます。我々小さいとき、まだ小学校中学校のときはね、鵜住居に近い方、大槌にも網あったんだけど。それがこっち(吉里吉里周辺)だけになっちゃって。

 春はね、しょっこって言ってね、ブリの小さいやつ、イナダつうんですか、標準語ではね。あとは小さいマグロみたいなのを獲ったり。あとはイワシとかサバとか。スルメイカは夏ですね。いろんなのを多種多様に獲ってました。秋はサケ。海から上がってくる川のほうじゃなく、我々は海で、まだ新鮮なやつ獲るんです。イクラもある。我々小さいときはイクラを丼で食べてた。ここの漁師さんたちはね、定置網の場合は、サケ漁終わったら休むんです、春まで。まあサケ漁終わるってもう正月過ぎますけどね。1月になってから休みます。で、3月4月辺りになって春、漁が始まります。

 定置網だと、まあだいたい1ヵ月1回くらいずつ網の入れ返しって言って新しい網入れて。草つくから。1ヵ月つうときもあったしもっと短いときもあった。草のつき方多いときは、早く上げるし、取り替えるし。そんときの水の加減なんだね、水のねえ、綺麗なときはそんな草つかない。水が汚いときはほら、草がつくんです。その加減によって、早く取り替えたり。

 海は毎朝3時4時に出てって、網上げて、5時前の市場に持ってくんです。車で大槌の市場に行くか、釜石の市場行くか。量が多いときは、買い人が多いところのほうが、値段もいいじゃないですか。量もさばけますから、釜石まで行きます。俺が高校卒業してまもなくの時ね、120キロくらいのマグロを、2本釜石まで運んだこともあります。この湾で。ここ、金ヶ崎で。

 うちは人使ってたから。船頭さんいて、船方さんいて、従業員の方々が何人かいて。まあ少ない時でも5、6人はいるわね。あと、網上げんのにお手伝いが二人から三人だか来て。獲れない時もあったけどね。獲れたときは大槌の魚市場に上げ、釜石の市場に上げ。ないときは、今日はごめんなさい。はっはっは。

 

十勝沖地震

 十勝沖の津波のときも、釜石の市場まで。ええと、あんときは何獲ったんだ? ブリと、それからメジマグロ。あんなのが結構入って、船から上がって、魚売りしてた。釜石の市場に売り行って、帰ってくる途中だった。車も揺れましたよ。で、吉里吉里に着くあたりにはもう津波が見えましたから、あんときは。波引いてくの見えました。戻る手前で、海岸にはもう来るなって言われて、途中から引き返したんですけどね。堤防閉めましたからね。船は沖に出して助かったような記憶があるなあ、うちの船方さんたちが。ただし、資材はもうダメになった。

 今回もまたいろいろ、沖に出して助かってる人あるじゃないですか。宮古の観光船なんか。もう、出れば大丈夫なんですよ。そういう教訓は昔からあるんです。ただ、逃げ遅れてしまって波かぶる人もあるから、危ないんだけど。今回はけっこう時間あったから、出せば助かったかもしんないねえ。ただ、今回の場合、揺れがひどかった。地震があってから津波まで時間があったあったってみんな言うんだけど、その間にも2回ぐらい地震来たから、揺れが収まるまでやっぱり余裕っていうか時間なくなったかもしんないねえ。だからもう、船は出さないほうが安全だっていう。船は仕方ないんだから。命が大事だね。

 今回このくらい津波が来るっていう意識はないと思う。こんなに意識無いでしょ。このへんも絶対助かるって思ってるんだもん、みんな。十勝沖のときは、うちらは逃げてると思うけど。ただ、今回のやつはこのへんのエリア(吉里吉里2丁目)は来る場所じゃないと思ってるかもしんない。ここは昭和8年の津波のときに上がってきた人たちだからね。それが来てしまって、けっこう犠牲者が出てるんですよね。だからこれでもまだ足りなかったかなってのはあるでしょうね。

 

料理屋を開業したものの苦労の連続

 網をどこへ割り当てるっていうのが、漁業権というのがありまして。そのときは、漁業権を組合が持ってまして、入札みたいなので取ったら仕事できる、取んなかったら仕事できないという形だったんですね。最初からでなかったの。途中から組合の権利になってしまって。入札で、今年は仕事できます、今年は仕事できませんっつう年が出てきたわけ。入札は昔からあったことはあったんです。ただ、昔からずっとうちは仕事してたんだけど、高校生の最後あたりにくじに外れたんですよね。離れてしまったんです。

 その頃、岩手県では、観光開発公社の計画で、県内の主なところに16ヵ所、レストハウスなるものを観光地やらに作って、各市町村に経営を委託したんです。大槌町では、一般の人達にそれをまた二重に委託したんです。そのときにじゃあやらせてくれませんかって入札に参加したんです。また入札だったんです。それが21か22のときなんじゃないかと思います。たまたま私たちが当選しまして、それから始めたんです。浪板海岸レストハウスって名前だったの。で、素人だったんです(笑)。だからあのときは、釜石の調理師協会にお願いして、腕のある人を調理師さんに迎えて、それから始めたったです。

短い夏ににぎわう浪板海岸海水浴場(芳賀太一さん撮影)

 ただ、このへんの海水浴場ってのは、7月8月しか商売になんねえのさ。それもさ、7月の20日から、8月の10日ころまで。お盆過ぎちゃうと寒くなって海水浴客いなくなんだよ。大変だったんです。そういう仕事だったから、私が外に金稼ぎに出たわけさ。運送会社の仕事で、魚を東京築地まで運ぶとか、商社の酒類部門でビール運ぶ仕事に従事したって感じ。そのうちにその商社に入っちまったんだ。それが32、3歳か。

 浪板の商売は、17年間苦労した。ダメでダメで、やめましょうと。たまたま吉里吉里に、料理屋さんやってる、別の大槌の方がいたったんですよ。やっぱりダメで、やめてる人があった。色々聞いてて、折衝したらね、とりあえず貸しましょうってことで、じゃあお願いしますってことで借りて。その人が買ってくれないかっつう話になって、じゃあ売ってくださいと。その建物買っちまったんです。23年やってきて順調だったのに、流されちまった。あと十何年は仕事したかったよねえ。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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