東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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みんな、また住みたくなると思う

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  • 話し手: 芳賀廣安さん
  • 聞き手: 佐伯哲也
  • 聞いた日: 2011年7月10日
  • 010/101
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家に下がるって気持ちにならなかったよなあ

 大船渡に嫁に行った娘の会社が鵜住居だったんです。そこも津波でやられてしまったんだけど、おかげさまで山手に逃げて助かって。4歳の孫はね、地震のときは、堤保育園に行ってたんです。私は、店の2階で座敷の方準備してた。家内は下の調理場で。次の日か、その次の日の仕出しかな。吉里吉里町内で出すやつです。お客さんいなくてよかったよかった。

 で、揺れたわけですよ。すごかったからね。家内が、いつまでも下がってこないってびっくりして。飛んで下がってきて、火なんか消して。津波警報すぐ出ましたからね。店は海近いじゃないですか。だからとりあえず逃げようって。こう、公園のほうを通って行ったのかな。家までとりあえず逃げたんだ。家の周り見て、ああ、地震では壊れてない、大丈夫だあって。で、鍵かけて。鍵かける必要なかったんだけど。ここにいれば危なかったんだ。

 すぐ上に上がったんです。孫迎えに、保育園まで。20分ぐらいかかったかな。そこにずっといました。ていうのはね、ここだと海が見えるんです。あ、津波来ないのかなって。家に下がるって気持ちにならなかったよなあ。今になってみればね、家が流されるって気持ちもねえんだよ。店は危ない。ただ、最初3メートルって言ったんです。3メートルだと助かるんですよ、防潮堤あるから。だけど津波警報だぞって言って、とりあえず避難したんだ。そこで、自分の店が流れるのを見てる。ああ、つって。防潮堤超えた時点のところは見えなかったけど、お店がずうっと横に流れてくるのは見えた。

 家のあたりに波が来たときには、線路の上に避難してる人たち、住人かなあ、上に上がれ、上に上がれつう声だったんで、線路越えて、上まで逃げました。保育園の園児も上がったはずですよね。その後私は、たまたまお寺の方に避難しました。危ないから下がるわけにいかない。で、家内と私と孫連れて避難したんです。そのうちに、大槌にいた娘の旦那も吉里吉里の方まで逃げてきて、いっしょに合流して。

 

ここに住みたいですよねえ

 この町にはね、やっぱみんな住みたいと思うんです。出ていきますよって人はちょっと少ないと思うんですよねえ。この町には残りたいんだけど、このままだとやっぱ怖い。だからそのためには、国道を嵩上げしてもらって、高くしてもらうとか。ある程度海岸に近いところは、漁業施設でも、なんかの施設でもいいじゃないんですかね。住宅地は少しでも高いところに作っていくっていう考え方ね。完全な防災は難しいんだけど、ある程度の人命は守れるように。今回だって、津波が来るまでに時間がかかるし。吉里吉里駅から上はもう全然なんともないですからね。だからやっぱり、下に住んでても上に逃げる、高いとこに逃げなくちゃなんないっていう意識で。だけど、やっぱ渋ってしまうんでしょうね。私のおじだって、家に来ないと思ってても来たんだから。

 何メートルとか数字はわからないけど、ただ、少し嵩上げしてから、この場所にはやっぱ住みたいですよね。来なかったところと同じぐらいの高さにして。ただ、自分のところだけそのわけにはいかないから、みんながどうなっか、によってですよね。家は親父の時代からです。私が生まれた年からだから、61年、61歳。ここに住みたいですよねえ、住みたいけども、そこは計画がどういう風になるか。だけどこの町、みんな、住みたくなると思う。町が死んでしまいますからね。だから、やっぱり、人が住めるように配慮してもらいたいですよね、何とかね。

 

【プロフィール】

話し手:芳賀廣安さん

高校卒業後、家業である漁業に従事するものの、廃業せざるを得なくなり、レストハウスの経営に転進。そのかたわらサラリーマンとして定年まで勤め、退職してからは、娘さんの家族と吉里吉里に暮らしながら奥さんと仕出し屋を営む。津波で店と家を失う。

聞き手:佐伯哲也

公益財団法人東京財団 社会変革推進活動 プログラムオフィサー

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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