東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

暮らしを語り、想いをつなぐ。

お問い合わせ

地域でつないで乗りきっていこう!

避難所のお世話役・藤本俊明さん

011-top
  • 話し手: 藤本俊明さん
  • 聞き手: 森山紗也子
  • 聞いた日: 2011年7月9日
  • 011/101
ページ:2

避難所の生活―みんな我慢をしているよ―

 ここの避難所にはね、6月の18日まで大阪の緊急救急医療隊や日赤の人たちが来て午前中ずっと診てくれてたの。あとは千葉市から保健師さんがこの前まで毎日来てました。そのあとからは二日に一回になりました。そういう場合でもずっとこう診てくれるのでみなさんも安心です。

 この避難所は4月の30日に合併して130名くらいになった。それから5月の末あたりにね、吉里吉里中学校の仮設が80戸できました。そこにね、避難所から約40人くらい行きました。ですからね、80人くらいで推移してきまして、最近また仮設の抽選があって20人くらい出て行きましたね。今60人くらい。

 ここの夕飯もね、5、6人が台所で作ってます。冷蔵庫も台所にしかなかった。でも暑くなって「みんなの冷蔵庫」を増やしたの。自分のものに名前書いて入れて下さいってね。避難所にいる人は結構我慢していると思いますが、お互いの立場を理解しながら・・・・・・、一緒にがんばりましょう!という気持ちだと思います。

 以前は町内会とかPTAとか、けっこう集まって飲んでコミュニケーションとってたけど、集まる場所、飲む場所がなくなったでしょ。だから飲みたいとか集まりたいとか、愚痴を言いたいという人が多分ストレス溜まってる。こういうときに自然発生的に始まるのが飲み屋。今は秩序もあるから始まってない。でも3カ月4カ月、積もり積もったものがあるかもしれない。小学校の避難所のときにはやっぱり20人30人焚火のまわりに集まってた。そういう点ではもうそろそろ吐き出せるところを求めているところがあるかもしれない。

 ここが閉鎖したら私の役目は終わりです。

 

日頃のつながりが、いざというときの助けになる

 避難所の診察には県外の市町村の保健師さんが来る。ここは千葉の保健師さんが一週間交代で二人で来る。これが1週間ごとに十数チーム来てる。千葉市の市長さんはね、結構ここが気に入ったのか、5月に入ってから、わざわざ来てくれた。

 今までは連携はないんだけども、こういう災害のときはやっぱりアンテナを高くして情報を集め、支援を求めた方が良いですよ。要するに友達が多いほうがいい。いろいろなところで支援してくれる。職員が派遣されたり、職員が来なければものが届いたり。だから日ごろからどんどん門戸を開いていくといい。吉里吉里の場合は盛岡の近くに紫波町っていうのがあるんだよね。そこで小学校5年生同士がホームステイ交流を26年間続けてるんですよ。夏には、紫波からこっちに来て、一泊して海水浴したり地引網したり、遊覧船に乗ったりして。秋には吉里吉里の子が紫波町に行ってぶどう狩り、りんご狩り、稲刈りしたり。あっちは温泉もある。そういうつながりがあったんで、震災直後、2、3日したら紫波のほうから「100人、200人受け入れますからどんどん来てください」って連絡が来た。結果的にね、80人くらいしかいけなかったんだけどね。紫波町では至れりつくせりの待遇と聞いてる。

 あんまり遠いと大変だけど、たまたま紫波のほうが海岸地区のほうとお付き合いしたかったの。吉里吉里に来たときに、んじゃあやるかって、当時のPTA会長さんが引き受けた。私もPTAの会長して、それから教育委員会にもいたので、都合26年のうち10回は私も参加した。そういう点ではこういうお付き合いしてれば助かるからね。千葉の市長さんにしても保健師さんたちが帰ってくると吉里吉里の評判を報告されるわけですよ。それで新聞とか送ると千葉の市長さんがここを見たいって言って、訪問されたんです。災害を通じて「助け合う」という気持ちが強くなったと思います。一人では生きていけないと思った。

 ただ一方では、仮設に入れば自分でやらないといけないことも増えていく。だからね、私ら避難所生活でいろいろお手伝いして、避難所生活で不自由な思いをしないように工夫している。

 

昭和8年の教訓

 昭和8年の津波の後に造成した2丁目の地域で亡くなった人が多い。ここは高いからこないだろうと。あとはお年寄りだからどうしても動けなかったんだと思う。昭和8年の経験から、津波がこないだろうと考えた場所に、実際に津波が来るかどうか検証できたのは80年後の今回なんですよね。結果、来てしまった。

 今、昭和8年の津波を経験した人は80代なんですよ。昭和8年の津波の話を親から聞いている人はそこに暮らしていれば大丈夫っていう保障のもと暮らしてきたんですよ。この間、チリ津波でも問題なかった。こないだろうと言うところにそれ以上の津波が来た。地震だ津波だっていったならばすぐ逃げるべきだ。

 避難訓練は昭和8年に津波があった3月3日に毎年やってんだよ。吉里吉里小学校が主会場で地区民のみんなで参加したが、寒いから高齢者は少ない。津波は防波堤や防潮林も大事だけど、まず逃げる。急いで高いところに遠いところにまず逃げる。これが最も大事なこと。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
「聞き書き」とは 詳細はこちら 一覧はこちら