東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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一緒にいる人を安心させる、太陽のような人。

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  • 話し手: 村田幸子さん
  • 聞き手: 高附彩
  • 聞いた日: 2011年7月30日
  • 012/101

私が育った家庭

村田幸子(むらたさちこ)です。女性三人姉妹の長女として吉里吉里に生まれて、高校までここで育ちました。小学校の頃は目立つほうでもなかったし、お勉強もスポーツもあまり得意なほうじゃなかったです。まあ、ちょっと目立ちたがりやな所はあったかもしれない。妹はよく私に「姉ちゃんは太陽みたいなんだよね」って言ってました。姉ちゃんがいると何が起こっても大丈夫なんだな、姉ちゃんがいるから大丈夫なんだなって言ってくれていました。三姉妹は喧嘩はほとんどなくって、私が強いので、私に合わせるという形で、私がこうしようというと皆そうしよう、という感じですごく仲が良かった。

 

もともと父は代々続く船主だったけれど、娘3人なので跡継ぎがいなくて、わかめ・ほたて・海苔とかの養殖を始めました。とにかく父は一生懸命働いている姿しか浮かばない。それを母が支える。夫婦喧嘩もなく支えあって生きてきた、私達の目標というか、いつかはこういう夫婦になりたいと思って見ていました。

 

私達は親が毎日働いていたからお祖母ちゃんに育てられたんです。だからすごく躾も厳しかったし、言葉遣いにしても人への接し方も厳しかった。お祖母ちゃんが、幸子、稲穂と頭は下げるほうが良いんだよ。そして一歩下がって人のことを考えなさい。と言っていた。それから、お祖母ちゃんは「幸子、お前は鏡を磨きなさい」と言っていた。鏡を磨くということは自分を磨くということだから、お前はとにかく鏡を磨きなさいと言っていた。妹には、あなたはお嫁に行く人間だからお米を大切にしなさい、食べることを大切にしなさい」と言っていたみたいです。お祖母ちゃんはすごく美人で、周りに人が集まる人だった。私もお祖母ちゃんが大好きで。この間、お祖母ちゃんの弟に、幸子ちゃんお祖母ちゃんに似てきたねって言われてすごくうれしかった。私は両親のような夫婦になりたい、年をとったらお祖母ちゃんみたいになりたいって思って生きているんです。

 

高校生ぐらいから目立ちたいと思い始めて、弓道を始めて、大槌高校の2年生の時に弓道部に入りました。妹も弓道をしていて、すごくうまくて最優秀弓道賞をとったりもしていた。でも妹がそれを偉ぶったことは一度もない。私の娘も弓道をしていた。息子だけラグビーかな。でもそれ以外は皆弓道をしていました。

 

わがまま放題に生まれ育ったけれど、人を労わるとかそういうことをおばあさまに言われて育ってきたんです。絶対飾らないし、私はこのぐらいの人間だから、こんな私を好きだといってくれるならいいよ、って思ってます。屋号は「いたこ屋」に生まれて、顔ももう「いたこ屋」って顔をしているんだそうです。おじさんたちも皆勤勉家で、水先案内人(大きなお船を港に連れてきて接岸する職業)をしていました。2番目のおじさんもIOTに勤めて、いろんなことが出来る人の中に育って、本当に幸せだと思っています。

 

皆で分ける、という環境のなかで育ってきました。土地柄というものもあるかもしれない。だってこういう寒いところでは、助け合っていかないとね。暖かい宮崎では「てげてげで良かっちゃが。」って言うんですけど、こっちでは「てげてげ」っていうわけにはいかないですもんね。あっちのほうだと何でも2回獲れるんですよお米もジャガイモも。でもこちらだと、秋の収穫が終わるともう何にもない、海のものしかないですから、皆で分け与えるというか。私の母親達は、自分達はなくても人に分け与えるという考えですからね。今の自分があるのは、夫、両親、おじいちゃんお祖母ちゃんのおかげだと思っています。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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