東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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肝っ玉母ちゃん、吉里吉里に生きる

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  • 話し手: 小笠原広美さん
  • 聞き手: 簑原茜
  • 聞いた日: 2011年7月30日
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自分たちのことは自分たちで―3.11後の結束

最初は道路も歩けない状態で。地元の業者さんとか重機を持ってる人たちが自分たちでやり始めたり、高校生とか、女の子たちもリヤカーを引いて瓦礫を集めたりとかしてたので、学生って普段見るとほんとに何やってんのかなって思ってたんですけど、力強いって思いましたね。自分の街っていうのもあるんですけど、やっぱり子供がいるっていうのは頼もしかったです。自分のはもちろん、私はよその子も集めてたのでより一層(笑)。瓦礫を集めている子供たちも、私職場が山田だったので、すぐ後ろが海だっていうのを知ってるから、「大丈夫だったの、広美さん?」みたいな感じできてくれて。「しぶといんだよ、私」って言ってたんですけどね(笑)。すごくみんな働いてましたね。傾いた家に入って、そこの家の人に頼まれてはいないと思うんですけど、アルバムあったよとか、持ってきてくれたりとかもあったので心強かったと思いますよ。

治安が悪くなったりっていうのもあったんですよね。車を一台置いて、高校生たちが二人ずつ交代で寝ないで当番をして。今考えるとそこまでする必要ってあったかなって思うんですけど、でもそんときは必死なんですよね。自分の家族とか近所の人を守ろうっていう子供たちの。あんまり穏やかな話じゃないんですけど、金属バットとかを持って、ただ何かあってもクラクションを鳴らして周りの人が出てくるのを待つっていう条件で。まあ鳴らすこともなかったですけどね(笑)。

 

家がある人とない人―見えない壁

震災のあと家に帰ってきてから、やっぱり家があって、避難所には行けないなと思ったんですよ。家を流されてしまった人の居場所を作ってあげなければいけないっていうのもあるし、家が残ってしまったので申し訳ないっていう気持ちがあって来れなかったんですよ、最初は。被害妄想ではないですけど、なんかこう、家があるからいいよねって思われてるかなっと思って。

避難所での配膳(芳賀太一さん撮影)

でもそういうわけにはいかないと思って、避難所にたまに顔出して、ご飯の配膳手伝うとか、物資が来たのを分けるのを手伝うとかっていうのはやったんですけど、やっぱり家があるがばっかりにごめんねって、こっちから距離を置いてしまっていることが多かった。家のある人とない人で壁が出来てしまうよねっていうのはありましたね。でも、残ってる人たちは残ってる人たちで、しばらくは物資のほうとか、在宅の人にはもらえなかったんですよ。とにかくガソリンがないので、買い物に行けないっていう状態だったんです。それを避難所のほうにも言って、私たちもこういうので大変だって、在宅のほうにも物資を届けてもらえるようにって。

 

町内のために立ち上がれ!

町内会で残っている家に物資を配りましょうって、この前までずっとやってたんですよ。私がやってたのが2丁目っていう地区で、家が流されてない残っている世帯が117世帯あったんです。人数にすると、470人くらい。震災後3日目か4日目ぐらいで、私たち、歩いて世帯の名前と人数、調べて歩いたんですよ。やっぱりね、安否確認もしなきゃいけないし、誰がここに避難してきてるとか、近所の方とその娘さんと、うちの娘と息子で。

自衛隊さんから週に2回もらった物資を各家庭ごとに分けて、それを皆さんが取りに来てっていうのを3ヶ月半くらい毎日ずっとやってました。やっぱり毎日やってると、毎日顔合わせるじゃないですか。それが逆に家にいる人たちにとっては楽しみになる。14時になったら配給もらいに行かなきゃって。背負いカゴ一つで持って帰れるくらいの量が目安で、いい運動になるじゃないですか。それでコミュニケーションをとって。14時から15時の1時間っていうんですけど、みんなもうそれを楽しみにしてるから、お昼食べると年配の人たちは背負いカゴしょって歩いてくる(笑)。楽しみにしてたんだなって。忙しかったんですけど、それはそれで楽しかった。2、3日来ないなっていう人がいると、じゃあ持ってくついでに様子見てくるかって家に持ってっていって、「どう?なんともない?」って。

仕事をしてたせいで、町内会の活動とかって参加する機会がなかったんですよ。「私、非国民だから」ってよく言ってたんですけど(笑)。顔を見てどこの誰さんって分かるけど、話したこともないっていう人も結構いたんですね。こういうのを通して、人をよく知るようになったっていうか、仲良くなれたっていうのもあるし、自分にとっては自分を町内の人とか町の人に知ってもらう機会にもなったし、お互いにそうだと思うんですけど。やっぱりボランティアしてよかったなって思いましたね。いつもの状態、津波がなかったらやってなかったことなので。

 

忘れられた動物たち

うちミニチュアシュナウザーが3匹いるんですよ。犬のほうが敏感になってますよ、地震に対して。ちょっと大きい地震になるなと思うと犬が吠えます。犬も分かるんだよねって。地震のときに、息子から「大丈夫だよ。」ってメールが返ってきたあと、「犬は?」って送ったんですよ。あとから冷静に考えて、犬はないよなって(笑)。うちの友達のところも家流されたんだけど、犬とパソコンを持って逃げたって。結構動物は大事にしてますよね。連れてこれなかったっていう人もいましたけど。人の食べるものとか自衛隊さんすぐに持ってきてくれたんですけど、犬とかペットのものとかってなくって、それがすんごい困りましたね。えさは、1週間ぐらいしてからかな、愛犬クラブのほうで持ってきてくれて。うちで会員になっていたので、吉里吉里で犬いて困ってる人いたら渡してって預けられて、知り合いのところにペットシートとかおやつとか配りました。少しずつでごめんねって。お店に行けるようになっていの一番に買ったのがペット用品でした。なかなか飼ってる人じゃないと分かんないんですよね。たまたま停電の夜、クラブの人が車でえさとシートを運んで来てくれて。そこのお宅もお母さんが流されて大変だったみたいなんですけどね、「ちょっとそんなことしてる暇ないんじゃないの、あんた」って言ったら、「こういうことでもしてないと気が紛れないから」って動いてましたね、ガソリンのないときに。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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