東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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吉里吉里で大工50年

大工さんはなっでもする

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  • 話し手: 倉本方紀さん
  • 聞き手: 福島空
  • 聞いた日: 2011年7月10日
  • 015/101
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子どもの頃のくらし―なっでもしたおやじ

むかし、自分のおやじは、木を伐って、それを薪にして、しょってきて。あまり車て無かったからね、しょってきて。あとはそれをたまに売りさ行ったりもした。昔はお風呂は木でね、子どものころはお風呂もなかったんだもの、もらいにいくの。煮炊きも薪で。おら子どもの頃は、つるべでね、つるしてね。鍋でもやかんでもかけるわけだ、まあ昔は鉄瓶だな。炭は、炭を焼く人が専門でいるわけで。その人たちは店に卸して。で、私達は店さ買いに行くと。炭は、まだ使ってっとこもあるけどね、今は使っても一部だしね。むかしはコタツにもね、コタツにも炭いれたんだ。

おやじはなっでもしたな。漁師もしたし、果樹生産もしたね、あどは山さ。畑もなんぼかやっでた。畑って、自分たちで食べるばりだから、その頃はよその家のを借りて、耕したった。手伝いは芋掘りだのね、大根抜きだとかね。山の手伝いもまづそだな、あんまり行かないんだね。小さい頃は、遊び専門。

 

カゼとアワビと海遊び

同級生は仲がいいね、最高だ。兄弟と同じ。来年は古希だ、俺たち70だ。同級生は60人ぐらいだな。今の子供たちは半分なっぺかってとこだな。浪板ってとこに学校あったども、なくなって吉里吉里と一緒に。あそこの浪板海岸てば、寄せ波ばりだから。返す波が無いわけだ。全国になんぼもねんだ。

子どもの頃は海に行く行く、結構泳いだり、潜りも、あーややや。カゼもそうそうそう、食べるくらいね。カゼは、ウニだねウニ。あとはちょっとしたの持ってくる。いまハー、持ってくるったって、ほれ大変だすぺ。逮捕される。あん時はまだ。

昔はおら小さい頃はあんまり買ったのなかったものね、アワビでもカゼでもね、獲ったりするのはなんぼか自由だったのよ。今は厳しいからね、店で売ってるからね。昔から魚もスルメイカももらって食べた方がよけいだども。いまはなんぼでも買わねばね。

獲れるのはカゼとアワビだったな。カゼはまれだども、アワビの方だな。カゼはタモでね、あとはカギでね。アワビは一本カギで。そりゃ特に先輩たちが獲ったんだなあ。うん、まづ、上手な人と。いぐどこ決まってっからね。そこにいないば、いない。自分たちのときは、だいたいハー、いぐひとは決まってんだ。だいたい縄張りとおんなじだ。やくざ屋さんとおんなじ。

 

大工人生50年―師匠に弟子入り

16からね。中学校終わってからね。安渡(あんど)地区、トンネルくぐったとこのすぐそこだ、隣、海沿いだ。そこさ修行に行ってたの。師匠の家に住み込み5年間ね。それから50年以上になんだな。ハハハ!

修行先でまあ、いじめられるのはね、当たり前だから。兄弟子が2人いた。33年の年だからね、弟子さ行ったの。んだから、チリ津波のあれは35年だったわけだね、俺弟子の時だったから。あんときもー、大変だったな。修業先にも津波が来たの、あだったの。うちさなんぼか入ったくらいだったけどね。

あの辺りって、製材所はあまりないから、ほとんどが移動機って、山の近くさ持ってってやるの。当時は伐って製材するところから。あの時は、年に何棟というわけでも無かったね、家建てるっつのはあんまりないような気はすっども、なにかかにか仕事があった。うちの師匠は建具もやったからね、だからそういうのもやったり、あどは土木建築請負士だったからね、だからなっでも、コンクリもやった。弟子に行った頃、一輪車が無かった、だから担いで。そーうそうそう、だどもね、やんねばねと言えばやっだからね。

 

弟子は「なっでもする」

師匠はおっかなかったよ。弟子当時は、なっでもしたなぁ。ブタも扱ってた。それの餌も近所さもらいに歩くわけ。そんなんもしたの。他の家で食べたの残したのとか、米のといだとぎ汁とかね、そういうのも頂いてたの。昔は当たり前だった。あん時は2頭いた。それは終わってっから売るわけだ。太らしてから売って、また小さいのを育てる。

たまにお茶づくりもやってたからね。師匠の家で食べる用の。お茶の揉みかたもしたりね。畑のふちにね、お茶畑ってね、それこそ静岡と同じだ。あとは昼間仕事終わってきて、ご飯食べてから、そのお茶作るところから、煮たのを、熱いとこ、そこがまたいいとこだから。今は、やってねえって言ったな。

 

師匠は、親以上

師匠は80過ぎだったっけ。結局働かないでも、仕事に対しては厳しいんだ。

仕事つうのは、師匠上がりしてっから、覚えるんだね。弟子にいるうちは、それこそなんでもすっからね。仕事くれんのは、師匠上がりしてっから。それから覚えるんだね。5年奉公するわけ。それ終わってから。

師匠上がりしたら、今度は家から通うから、なんぼかお金もらって。弟子当時はお金はもらわねえ。今はなんぼ弟子でもなんぼかもらうけどもね。昔はお盆と正月に、俺が貰ったのは300円ずつだったな。大槌から釜石まで往復で60円だった、汽車はね。映画あん時は55円かなんぼ。ラーメンが30円か40円だったな。だから300円ていえば、大金だった。あどは土曜日、日曜日てのはねえんだ、だから1年が長いんだ。盆と正月以外は休み無しだね。今は土日あっからね。帰れる時はうれしかった。

師匠は、親以上だな。何年なっぺ亡くなってな。お盆には花もって仏さんを拝みにいく。今度はお家流されたからね。んだから息子さんの奥様が流された。亡くなった。岩泉の方から来てた人、お嫁さんでね。大変だぁ。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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