東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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吉里吉里に生まれ育って

漁師の町で、家族とともに

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  • 話し手: 川原とよ子さん
  • 聞き手: 西田一平太
  • 聞いた日: 2011年7月30日
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吉里吉里ってこんなところ

 川原って名字は、そんなに多くはないです。まぁ、竈(かまど。分家)でね。実家は、同じ吉里吉里でも2丁目っていう所なんです。実家の親たちももういないけど、私の妹がいるんですよ。その人たちだけ住んでるから。もうそこも津波で無くなりましたけど、家。妹はもう仮設に入ってます。2つ下で仲良く、昔はけんかもしたり。小さい時は、まぁね、中で遊ぶって、お人形さんごっこしたりね。あとはまぁ外で、なんていうか、縄跳びしたりして遊んだりも。そういう遊びがね、多かったです。私、泳がないから、海に遊びには行くけども砂場で遊んだり。今の子たち、ゲームばっかりしてる子もいるんですけど、私が小っちゃい時にはやっぱりそういう遊びして遊んだんです。

 吉里吉里はまずね、近所付き合いっていうかね。隣近所みんなでね、結構協力してね。漁師町だし商店街も結構多かったから、にぎやかっていうか、まずいい所でしたね。海に行けば、海の人たちがいっぱいいるし。漁業が盛んで、カキとかワカメとか養殖してる方が多くて。3月、4月のワカメの時期には塩したやつを芯から剥がすんですけど、そういう仕事に私たち手伝いに行ってたんですよ。カキとホタテとねウニの時期も小遣い稼ぎに殻剥きの手伝いにもまぁ行きました。小さい身のやつを貰ってきたりして。嬉しかった、食べられたから(笑)。ウニは生が一番おいしいんです。

 でも、用足す所はやっぱり吉里吉里にはないから、みんな大槌のほうの役場のほうでやってますけど。銀行も大槌にね。私も免許ないから、やっぱり汽車で行ったり、バスで行って用足してきたり。大変です、年いった方は。

 

大工の旦那と一緒になって

 うちの旦那は大工です。この間まで山田のほうで仮設作るのに手伝いに行って、今ひと段落して休んでます。直す家があれば、そっちのほうに手伝いに行くけど。自宅も、畳の部屋がいいって自分で設計して建てました、和風の家。やっぱりこの津波で、一階はもうだめで、直さないと住まわれない状態になってしまって。娘の部屋のある二階は大丈夫でしたけど、私たちの物はほとんど下に置いてるから、思い出の品とかも全部流れてしまいました。最近は、「休んでる間に少しずつ直そうかな」って言って、今日も行きました。また仕事が始まると、できなくなるから。

 旦那は私の2個上の先輩なんですよ。だから、まぁ中学校の時から顔はまあまあ知ってたったんですけど。ええ、前から顔は知ってまして、私(笑)。中学校終わって、福島のほうに5年働きに行ってたったんです。そして、帰ってきてから地元の呉服屋さんに勤めたんですよ。その時に買い物に来たりしててね、なんとなく話しして一緒になりました(笑)。結婚して、もう三十何年になります。小さい子どもも今は高校生一人だけで、3人で暮らしてます。あと4人はみんな大きくなって、それぞれ。

 うちの旦那、お休みの日とかは、まず、あんまりどこにもね、出掛けないで、家にいることが多いですね。買い物でも、たまに遠くて遠野ぐらいですね。遠くさ行くのに嫌がる人だから。でも、たまに休みの時に夜釣りに行きますね。小っちゃいアジが釣れる時期があるんですよ。あと、白魚釣りに行ったりして。うちの人一人だけで行って。取ってきたのをから揚げしたりして食べたりして。釣るの好きだから。本当にまだこんな小っちゃいの釣ってきたり(笑)。鱗を取ってね、腹切って、エラ取って。作るのに大変だったんです。釣る人はおもしれぇべと思うけどね。

 晩酌は缶ビール、こんな缶ビールね、350を一本飲んで、あとはもうお酒っていってもコップで2杯くらい。自分の釣ってきた魚をつまみにして飲んでますけど。私もたまにね、酎ハイとかね。何でもまぁ。おいしく飲めればいいやって。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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