東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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漁、商店、消防団を経て

波乱万丈の吉里吉里での72年間

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  • 話し手: 芳賀寛治さん
  • 聞き手: 中村会美子
  • 聞いた日: 2011年7月9日
  • 013/101
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波の荒い場所はいいワカメが採れるの

ワカメの水揚げ(写真は大槌町と隣接する山田町、田の浜漁港)

 私が30代前半の時に10人位の人達で養殖グループを設立して、私もメンバーの1人として参加したんだよ。最初はワカメ養殖をやることになって、船越湾の上閉伊と下閉伊の郡境から南西の方向に施設を造ったの。でも、あそこは種を育てる場所としては不適当であまり良い成果が得られなかったね。やっぱり、良い種、良いワカメを育てるに外洋でなければならないということがわかって、大槌湾沖に場所を設置してから大変良い量質のワカメが水揚げされるようになった。私はそれから数年でやめたけど、ワカメの養殖は吉里吉里地区の大きな収入源になったね。

 それがこの津波で壊滅的な被害を受けて大変なことになった。ワカメの養殖やってた人の中には、高齢者も多かったから、辞める人も大勢いるとか。ホタテやカキをやってるとこは、出荷できるまで3年位かかるのかなぁ。本当に1日も早い復興を願うばかりです。

 

いいと思っても台風が来る。思うようにいかない

 延縄漁に刺網、ワカメ養殖の他に、海苔の養殖やったこともあるよ。その時は、吉里吉里の海水浴場沖に施設を造ったの。海苔養殖は8月、9月頃施設を造って固定する。そして網を張り終えて、種つけてもいいなと思っても、季節の変わり目頃の10月、11月になると大きな台風か低気圧が来る。その度に施設が流されて壊滅状態になってしまう。海苔養殖を5、6年やったけど収穫あったのは2年だけ。これじゃいつまでたっても空回りだから、お母ちゃんとも相談して、思い切って商売変えをしようということになって、商店経営を始めたわけ。最初はお母ちゃんとお袋、2人でやってたけど、だんだんお客さんも増えてきて忙しくなってきたので、私も浜の仕事に見切りをつけて、トラック買って釜石や大槌の市場にお母ちゃんと2人で仕入れに行き始めたんだよね。

 

吉里吉里を支えた40年間

 商売の方は結構忙しかったんだよ。食料品のほかにも、酒・タバコ・塩・米・専売品も売ってたの。昔は酒類、タバコ、米の免許取るのすごく大変だったんだよ。

 でも、時代の変革と共に規制緩和政策が取られて、金と力のある大型店がテナント制から独自で免許を取り、大量仕入れ、バックサービスなんかで安い値段で仕入れして安値で売るでしょ。私たち小規模業者にとっては、本当に死活問題。規制緩和で、結果的に岩手県だけでも酒、米専門店が何万件という数で廃業せざるを得なくなったようだね。町内でもマスト(ショッピングセンター)が開店、それからマイヤ、ジョイス、みずかみ、ローソンが続々出店してる。うちの店も10年位前から経営状態が悪化して、近年はなんとか赤字状態にならないよう維持するのが精一杯。それでも足腰の弱い人たくさんいるから、その人たちの支えにと思って頑張ってきたけど、周囲の人たちに、何かあったら店やめますよと常々言ってきたの。でも、こんな大津波で店を廃業するとは夢にも思ってなかったよ。

 津波で店舗の中が50センチから60センチ位浸水したの。海水が引いたのは夕方で、その後は泥濡れ。水道も止まって、こりゃあ大変と思ったね。その惨状を見て、後片付けをしながら店の復興は無理だと判断して、その時点で閉店を決意したよ。

 3月11日直後は、湾岸付近の核店舗が被災して営業してる店がなかったの。後片付けをしながら、仕入れも出来なくて有り物売りをしたんだけど、電気もないからローソクの光だけで、レジも使えなくて電卓で計算してね。大槌や安渡(あんど)方面からも食料を求めて、たくさんのお客さんが来て。4月になってからは全品半額にして9割方商品がなくなって、約40年間の商売と、お世話になったお客さんに感謝の気持ちで廃業したの。

 

浜の近くにいたいのは、やっぱり本心だよね

 「復興、復興」って言ってるけども3ヶ月、4ヶ月経っても方向性が見えてこないよね。何しろここだけじゃない震災だからね。福島の原発はどこ見ても大変なことだらけ。

 漁師の人達は出来れば浜の近くに住みたいと思うよ。最近、各地区ごとにある程度方向性が見えてきたけど、先に立つもの、体力…。政府の支援を待っていたらどこまでも遅れそう。それに浜の第1次産業、第2次産業同時に復活しなければ大槌町の活性化にならないのではと心配です。どうか皆さんで知恵を出し合って、1日も早く震災前の姿になることを心から願っています。

 

【プロフィール】

話し手:芳賀寛治さん

中学を卒業してから30代後半まで漁に携わる。そのあと芳賀商店を開店。酒やたばこ、米などを扱い、約40年に渡り地元の方の生活を支えてきた。また長年に渡り消防団の中心となり、第3分兵団長、それから本部副団長を13年間務める。第3分兵時代には、岩手県ポンプ操法協議会釜石支部大会で4年連続優勝。県大会に導いた。

聞き手:中村会美子

会社員

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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