東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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80年間、志津川を見つめつづけて

商工会が育む、地域、経済、そして人のつながり

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  • 話し手: 芳賀文吾さん
  • 聞き手: 代田七瀬
  • 聞いた日: 2011年7月23日
  • 020/101
ページ:3

志津川の景気―大型店ができるとどうしてもね、商店は難しくなる

 志津川の商店街は景気が悪くなったね。結局、昭和50年くらいから大型店がほら、佐沼(宮城県登米市迫町佐沼)とか南方(宮城県登米市南方町)の方に出だしたからね。昭和48年にはまだなかったかな。大型店できるとどうしてもね。若い人たちは車代、油代は計算しないでどこへでも行って、安いものだけ買って。朝晩のちょっとしたものだけ地元で買うってことだから。商店の品揃えが悪いって、私たちは言われんのね。でも、そうじゃなかったら、あんたたち地元で買ってくれるのかと。部落の懇談会なんかでも、そんな話になったりするね。

 志津川では大型店はサンポートって1店だけど、私が退職する前だから、17、8年前かな。結構最近。商工会指導で、共同店舗型組合形態で。大型店のようにワンマンでやるようなのでなくて、町内の商店が集まってやりましょうってやったから、どうしても思いきったことがやれないんだよね。

 私の辞める頃(平成7年)から、経済はまたずうっーと悪くなってきてるんだよね。私も、外行って買わないように、なるべく地元優先だけどね。

 

苦労したこと―20年間、かなりもまれましたね

 20年間、かなりもまれましたね。景気が上向きに行けばいいけんども、多少下向きになったりなんかするとね。そんなことやってっと、手ぬるいとか、あんな教え方でいいのかって横やりが入ったりね。私も言われたことありますよ。そうやってはたかれなければね、まっすぐに伸びないから。多少それも経験だったかな。ま、かえってそのために大人にしてもらった(笑)。

 一番の失敗は、金融指導やって、大丈夫だと思って見込んで紹介して、その人に蒸発されたの。結局、銀行から融資を受けた途端に夜逃げしちった。信用しててもね。それで、お前たちの指導のありかたがって役員会に言われてね。債務保証とかで、なんとか取り返しはつけたけんども、それ一つやってしまうと、今度はお世話するにも、金融機関もうんとは言わねぇんだな。

 

商工会だけでなく―各種団体の連中との付き合いが、今の私を育てた

 商工会は22年勤務したけれども、その傍らで青年運動、それから神様の関係、農業とか森林組合関係、それから防犯協会もかかわって。だから、その人たちの声を聞くことによって、ああ、こういう風にやらなければねぇのかなっていう考え方もまとまるわけ。商工会の指導員だけではね。今でも社会に恩返しをしなきゃねぇと、地域に貢献したいってことで、いくらかでもやってんだけどね。

 前には、私は付き合いにくい人間だったってな。なんかこの頃はだいぶ丸くなったっていうことで(笑)。そういう点はやっぱり、80年の人生で、所帯持って50年、その間、各種団体の連中と連携して話し合いしたことによって、今の自分があるなということは思う。だから、私は息子になるべく人と交際を広くやれよと、そうすれば初めて、自分の悪い所も出てくるし、それでほら、成長するんだって話をしてます。

 

震災後の商店―はたしてどのような商店街ができるのか

震災前のおさかな通り商店街

 商店がないことには、人も住まないしね。だから、早く商店街を、どのように町で方向付けしていくのか。今の流された所も、だめだって言われっか。どの辺で商店街を形成するのか。高台に上がんなさいって言ったって、人の住む所と商店の関係だからね。

 今までの商店の人、半分くらいはやめるんでないかな。結局、高齢化しているし、今の若い人ではここではなかなかやれない。人口1万ちょっとではね、人口密度もないし。この震災によって、都会へ出てる人、だいぶ多いから。はたしてどのような商店街が出るか、商店街をここへ作って店舗が充実するのか、それと住民がそこへ居つくのか。どっちが先だぁ。結局、あとは手腕だから。でも、こうなった今、ただ手腕だけでお客さんが寄ってくるか。そもそも志津川は、三方山で、片方が海だから。

 

退職後と現在―来年は畑やれるんでねぇかと思って

 退職後は野菜作りとか、神社の総代したりとか。野菜作りは耕運機は使わねぇんだ。鍬だけ。機械音痴(笑)。体で覚えたから。若い頃からね。私は鍬の方が早く立派に、仕上がりも楽なんだよね。自分の思う通りになっから。

 野菜20種類くらい。きゅうり、なす、とまと、ねぎ、とうもろこし、白菜、キャベツ、みょうが、ブルーベリー、大豆、えだまめ、ブロッコリー、すいかもやった。今頃になれば、いんげんか。一人で毎日健康のために。鍬持って、帽子をかぶって。退職してからずっと。ここ通って行った人に、野菜持って行きなさいって。そうすると、おやつなんかを帰って持ってくんのね。

 畑は家から、自転車で3分だもん。志津川駅のすぐ裏側に畑があった。海水に浸かってしまったけど、来年は畑やれるんでねぇかと思って。いくらとれるかわかんないけど。

 

【プロフィール】

話し手:芳賀文吾さん

志津川で生まれ育ち、農業の傍ら、4Hクラブの会長や、保険外交員、水産関係会社、商工会の指導員、事務局長を経て65歳で退職。退職後は自身の畑で野菜作りに励みながら、神社の総代などを務めた。

聞き手:代田七瀬

慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス研究所上席所員(訪問)

 



■ 宮城県南三陸町志津川

宮城県南三陸町
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