東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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子どもたちと共に乗り越えた日々

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  • 話し手: 芳賀真由美さん
  • 聞き手: 代田七瀬
  • 聞いた日: 2011年7月30日
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自己紹介―ずっと保育士をしています

 芳賀真由美(はがまゆみ)、48歳です。生年月日は、昭和37年9月24日です。家族は7人家族です。主人の両親と主人と息子が3人。息子の一人は社会人で埼玉に行っていて、もう一人は大学生になりました。4月から仙台です。一番下が中学校2年生。現在は5人で住んでいます。

 震災で、家がなくなってしまったので、仮設ではなく、吉里吉里で一軒家を借りて住んでいます。主人は船の機械を直す職業です。会社は釜石にあるんですが、本社は東京なので、別な事務所を借りて再開しています。だから生活できて。これでね、職場も失ってしまってたら、もっと大変だったと思う。

 私はずっと保育士をしています。平成5年からは吉里吉里保育園に勤めていて、震災の当日も保育園にいたんです。

 

吉里吉里保育園からの避難―これはただならぬ地震だって思って

 吉里吉里保育園は海の近くだったので、全壊してしまったんです。二階建てでした。地震があってからすぐに吉里吉里小学校に、子どもたちと一緒に避難しました。

 9日にも地震があったんですよ。注意報だったんですけど、身の危険を感じて、自主的に子どもたちと小学校に避難しました。保育園では、各組に避難リュックというのを持っているんです。水やおむつや飴や着替えとか。で、9日の日に飴とかをもう食べたので、出張から帰ってきた園長先生に連絡して、10日には新たな飴、水が用意されてたんです。

 11日は午前中、保育参観をして、その後に保護者会、総会をしました。午後は、職員会議をして、そして園長先生が避難用リュックも新しく買ってくれたんで、みんなで飴や水を詰め直して、各部屋に持って行って、昼寝から起きて、さ、おやつにしようかっていう時の地震だったんです。

 その日が保育参観だったので、お母さんたちがいっぱい連れて帰ったんですよね。だから、残っている子は30人くらい。60人定員の保育園なんです。毎月、避難訓練を重ねていたから、あんな大きな揺れでも、子どもたちは動揺することもなく、誰も泣かずに。以上児(0?2歳までのことを未満児、3歳以上の子を以上児という)は二階だったので、静かにテーブルの下にもぐっていました。0歳児は複数担任なので、おんぶとか、だっことか、散歩車っていうかベビーカ―に乗せたり。

 建物が崩れるような感じの大きな揺れで、地割れもしたんです。これはただならぬ地震だって感じで。津波警報が発令されたって分かって、揺れが収まってから逃げようと思ったけど揺れが収まんなかったんですよ。もうやめてやめて、外に出て逃げようって。はだし保育だったんですけど、ガラスにもセロハンをはっていたので、割れなくて大丈夫でした。

 最後、園長先生と私だけが残って、事務室から最小限度のものを持って逃げたんです。

 

家族、家はどこに…―でも、ここにいる人たちと共にしないと

訓練どおり、坂の上にある吉里吉里小学校に子どもたちとが避難

 小学校に避難して、自分の自宅を見たら、もう自宅一帯がなくなっていて、気が狂いそうでした。我が家がなくなっているって思ったら、その日は高校生の子は家にいると思ったし、中学校の子どもも、もしかして家に帰ってたんじゃと思って。家がない、子どもたちがいないと思ったら、気が動転しちゃって。

 でも、小学校にどんどんみんな避難してきますでしょ。それに揺れはしばらく続いて、危なくて体育館には入れなかったんです。そして、小学校の校庭の下まで水が来て、危ないということで、小学校の校庭から更に上にということで、校庭のフェンスを乗り越えさせたんですよ。子どもも、お年寄りも、みんなで担いで、渡したんです。そして、大丈夫になってから、小学校の体育館に泊まったんです。家族に会うどころじゃない。子どもたちを守らなくちゃって感じで。

 でも、息子の同級生のお母さんが、息子の安否を確認してくれて、真っ暗な体育館に戻って来てくれて。「とも君のおかあさん!おじいちゃんも息子二人も、近所の人たちも、ラフター(老人ホーム)にいたよ」って教えてくれて。

 子どもと会えたのは、3日目の朝でした。中学生の子が会いに来てくれて。自分の家族も心配だったけど、仕事場から離れられないし。妹が仙台にいて、仙台の若林区も、もう全滅だよって聞いたけど、ここにいる人たちと共にしないとって。

 うちの主人は船越という海の方で仕事をしてたんです。彼は、9日の地震でも、山田の道の駅に避難したっていうのを、お互いに話をしていたので、主人はきっと大丈夫と思っていました。3日目、保育園の子どもが全員帰って、私たちも解散になって、実家に戻ってから主人にも会えたんです。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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