東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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子どもたちと共に乗り越えた日々

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  • 話し手: 芳賀真由美さん
  • 聞き手: 代田七瀬
  • 聞いた日: 2011年7月30日
  • 019/101
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保育士になって思うこと―いつまでも歌って踊れる先生でいたい

 保育士の仕事は一度も辞めようとは思ったことはないです。やっぱり子どもと一緒に1日笑ったり、怒ったり泣いたり、接していると楽しいんです。その日できなかったことが今日は出来たとか、新たな発見もありますし。

 保育士ってみんなの前で話さないといけないし、歌ったり踊ったりできなくちゃいけないじゃないですか。私は静かな性格なので、勇気が必要でした。いくら子どもとはいえ、ドキドキしましたよ。ピアノも即弾ける先生とか見ると、うらやましいなって。日々勉強です。今は、若い先生から吸収しなくっちゃって感じです。今でも、保護者を前にすると、緊張感は違います。

 今でも、子どもとの信頼関係はしっかり築いて、保護者からも信頼される人でありたいし、子どもたちの前では、歌って踊れる先生でいたいと思っています。また、クラスの先生たちには、思いっきりのびのびとした保育をしてもらえればいいなと思っています。

 

小・中・高・短大―保育士になろうと思っていました

 小学校の頃から保育士になろうと思っていました。それはずっと変わらず。何でだったんでしょう。なんか、憧れだったのかな。子どもが好きということはあります。

 父は船乗りで、マグロ漁船の遠洋漁業で、一回出港すると何カ月も帰ってこないという。母は主婦でした。私は小学校3年生までは下閉伊郡山田町の織笠に住んでいて、小学校4年生の時に、吉里吉里に家を建てて、引っ越してきました。

 転校生は珍しがられたので、小学校でもすぐに友達ができました。でも、私は静かな方で。目立たない、普通の子だったと思います。

 そこからは、吉里吉里中学校、大槌高校。高校を卒業して茨城の保育専門の短大に進みました。短大の友人の旦那さんも保育のお仕事をされていて、今回の震災でいろいろ支援してもらいました。とても、助かりました。

 

保育士になる―あかちゃんをだっこして腱鞘炎になりました

 短大を卒業してすぐ保育士になり、花巻の若葉保育園に勤めました。そこは産休明け(生後2週間)の子から受け入れていたんで、首も据わらないあかちゃんをだっこして、腱鞘炎になりました。

 3年後に、結婚するということで吉里吉里に戻ってきましたが、子育てをしながら幼稚園に勤めたり、大槌町の保育園で臨時をしたりして、保育の道から離れないようにしました。そして、平成5年からは、現在にいたるまで、ずっと吉里吉里保育園で働いています。

 

おもいかえすこと

 もし、自分の子どもたちがいなくなっていたら、今の自分はいないだろうなと思います。自分だけ生き残ったってしょうがないと思いました。子どもって大事だと思います。少しずつでも、また前の生活に戻れるように願って暮らしています。日が経ってくると 、あれもあった、これもあった、悔しいなって思うようにもなってきましたけど、ここからのスタートだなと思って、体に気をつけて頑張ります。

 

【プロフィール】

話し手:芳賀真由美さん

小学生の頃から保育士を目指し、保育専門の短大を卒業後、ずっと保育の現場に携わってこられた。結婚をし、子育てをしながらも、平成5年からは、吉里吉里保育園の保育士として働いている。

聞き手:代田七瀬

慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス研究所上席所員(訪問)

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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