東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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海の恵みとともに

ウニの加工販売に生きた40年

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  • 話し手: 佐々木良子さん
  • 聞き手: 鈴木真理
  • 聞いた日: 2011年7月30日
  • 018/101
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海は生活の一部

 この辺ではうちの周りの人たちも、自分でウニ獲って家で食べたり、頼まれたら近所にも売ってあげたりしてるからね。まあ、その時期になれば、食べたい人はみんな食べてますよね。

 この辺のウニは美味しいですね。やっぱ、浜がいいんでしょうね。海藻も獲れるからね。イクラも身近なもんだからね、この辺ではね。新巻鮭作る時に、イクラの加工もする。塩漬け、醤油漬け。今はうちでしなくなったから、業者に頼んで作ってもらう。1年分ね。まあやっぱりこの辺は時期になれば新巻食べますよね。獲れるからね。自分で船持ってる人は、自分で獲ったのを自分たちで加工するから。後はそれをお使いものにしたり。ウニなんかもそうですよ。獲れば自分たちでお使いもの、夏だからお中元ですね。鮭んときもそうですね。魚屋さんから生のまま買って、自分たちで加工して作る人もいるし。だから冬になるとね、新巻を物干しのベランダにぶら下げたり。外にぶら下げたり。ほんとに海が近くて、普段は海にたくさん恵みをもらっているところなんです。ここは。結構みんな年いっても、自分の小さい船持って、好きな釣りっこしたり。自分で食べる魚を釣ったり。そんな人たちもいますからね、結構。まあ会社にいれば引退ですよね。引退しても、そうやって浜さ、浜って海に行く人たちもあるからね。今回そういう人たちも船流されちゃってるからね。

 

やっぱり地元に住みたい―海が見えると安心―

海に多くの恵みをもらって暮らしてきた

 海と一緒に生きてきた。だから仮設が海から離れたところだと寂しいし。みんなやっぱり地元に住みたいって希望が多かった。このとおりね、平地がないもんだから。私が入る仮設は坂の上なんです。それでもやっぱり海が見えるとこだと、安心するのかしらね。うちの母親も亡くなる前には、仮設はそっちのお寺のほうだというと、「ああ、高台だから海は見えっからいいかなあ」って言ってましたからね。

 海が見えない景色は私は考えられないですからね。まして家がなくなったから、こんな近かったかと思うぐらい海が近いですからね。

 家のあったところは、昭和8年のとき津波が来たとこだって父に言われて。ただうちの母親に言わすと、昔は堤防がなくて、国道もなくて、国道はある程度堤防の役目もしますよね、高いから。昔から見たら、まあまあ安全かなという感じだったんですよ。まして日当たりはいいしね。

 ねえ。ほんとに、まあね。いいとこでしたよ、吉里吉里は。

 当初うちのあったとこ見に行ったときは何もなくて。家は、土台しか残ってなかったから。ああ、やっぱりみんな庭のお花もやられたんだなと思ったら、先月歩いたら芍薬が芽出してたし、桔梗も芽出してましたからね。隣のほうでも芍薬出てたしね。まあ植物はね、すごいもんですよ。

 昨日また戻ったら、草がボーボーなって、ヒマワリが1本高々と咲いてる、うちの前にね。もう背丈ぐらいになって、すごい綺麗に咲いてるわけですね。ええ、じゃあ種、あの後に芽吹いたんだなと思って。どこに種潜んでやったのか。行った後芽出したんだ。やっぱりね、あんなにおっきく花咲いてるからびっくりしました。

 

【プロフィール】

話し手:佐々木良子さん

水産加工、販売。父の代から吉里吉里にて、塩ウニ、焼きウニを製造。釜石に店舗を持って販売をおこなってきた。新巻鮭の季節には、その製造を手がけていたこともある。加工は零細で、ほとんど1人で作業をしていた。障害のある93歳の母、漁業に従事する夫との3人暮らしであったが、母は避難生活で体調を崩し、取材の1週間前に逝去。

聞き手:鈴木真理

公益財団法人 東京財団 人材育成プログラムオフィサー

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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