東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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吉里吉里の鎹(かすがい)に

潔癖で一本気な広報担当

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  • 話し手: 芳賀廣喜さん
  • 聞き手: 大崎智子
  • 聞いた日: 2011年7月10日
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社会人になって

 気持ちのどっかに、大学に行きたいという気持ちはあったんです。でも親父に抵抗して、結局行きませんでした。だったら就職するにしろ、親父が大学に行けというのをカバーできるような企業に入ろうかと思ったんです。高校を卒業して最初入ったのは岩手銀行、そのときに93人入ったんですよ。そのうち大学・短大出がせいぜい10人くらい、そういう時代です。そこに6年勤めました。

 普通誰でも中央目指すんです。でも中央に行ったら、どこに転勤させられるかわからない。県内の銀行だったらまず岩手県内、仙台もあるけれども、盆とか正月とか帰って来やすい。都会は嫌いですから。人ごみ、空気…。最初に盛岡に行ったときでさえ、あの閉塞感、嫌いでしたね。しょっちゅう家に帰って来たかったんですよ。最初の頃は毎週帰って来ましたよ、土日になれば。吉里吉里を出て行っていながら、どうしてここへ帰って来たのか。吉里吉里のこの開放感が好きですね。とくに水平線が見えるのがいい。

 銀行を辞めた後は、親父が手をつけたドライブインの仕事を手伝いました。昭和45年、1970年だ、岩手国体があった年なんですが、国道ができまして。定置網漁業も時代の流れで漁協直営になって、親父も結局「陸(おか)にあがった河童」みたいになっちゃって。昭和50年、1975年に結婚してからも、親父の仕事を手伝ってましたけれども、親父と合わなくて飛び出たんですね。その後はね、2、3年仕事する気なくなってだらだらしてました。そのころは女房の仕事で食わしてもらって。女房は呉服屋のお嬢さんで、大槌の町で知り合いました。お坊ちゃまとお嬢様です。

 それから、ホテルの営業をしてみないかということで、17、8年間くらい働きました。釜石の陸中海岸グランドホテルというホテルで、このへんから宮古まででは、いちばん大きいホテルです。私がしていたのは、県外からの宿泊客が定着するよう、JRさんやバス会社と組んで企画を立てたり。岩手県は広いですから、陸と海両方満喫できるようなプランを考えたりね。トップシーズンでもオフシーズンでも、空いてるときをなくするようなことを考えてました。休みはあまりなかったですね。

 その後は損害保険でもやらないかと誘われて、半年間講習受けました。開業できるところまで行ったんですけれども、会社のやり方が気に入らなくてやめました。お客さんに損させるような感じがして嫌だったんです、潔癖なんですかね。お客さんにわからせないようにするのがセールスマンだって言うから、それは違うと思った。それまでの仕事、銀行、ホテル、全部セールス畑なんですよ、仕事が似てるんです。

 もちろん、最初は全然素人で入ったんです。18歳のころから銀行でがんばりました。目で見れる、手で触れる商品でなくても、絵をイメージさせるセールスが大事だと教えられました。いくら銀行のバッジつけてたってお客様は信用してくれない、100軒行ったら99軒門前払い、その1軒を大事にしろと上司から言われました。実際は3分の1は話を聞いてくれましたけど。若いころからそういうふうにやってきましたから、いい経験でしたね。

 

震災―大槌の町で被災して

 そして平成7、8年ごろから震災の日までですけれども、15、6年間新聞代理店をしていました。自宅兼店舗でしたから、チラシの折り込みが終わって、配達員に新聞を置いて歩いた帰りに地震に遭って、店に戻って、それから津波が来て被災です。大槌の町は全滅ですよ、吉里吉里以上にひどいです。午後6時ころ、津波から約2時間後に大槌町内3か所くらいから火災が起きて、町の中心地を一晩中焼き尽くしました、一軒残らず。町が悲惨なのはそういう経緯ですね。

 大槌の町には、左右に大槌川と小槌(こづち)川の川2本ありましてね、町の後ろに城山があって、前に海が開けてるんです。私の家が江岸寺(こうがんじ)の近所で、城山にいちばん近いところだったんで、逆に言えば、大槌の町ではいちばん海からは遠かったんです。城山に上がる階段にみんなを誘導して…。私は瓦礫のなかから、3人くらい救出しましたけれども、まだ残っている人たちがいました。津波は、一波がひょうたん島(蓬莱島)のほうからやって来て川を遡上して、途中まで戻って行ったところに、二波が来たんですよ。ですから、行き場がなくなった水が全部、正面と横から町に入って来た。とくに二波が大きかったです。午後3時24分だね。ひょうたん島に津波が来たのが、午後3時15分前後でしょう。だいたい4キロくらいあったと思いますけどね、約10分弱かけてここまで来ている。

 女房は行方不明だったんですよ、生命保険会社のセールスをやってて、ちょうど出てましたから。女房は一波で車ごと約400メートル流されて、バイパスのところに家が2、3軒あって、そこに引っかかって、うまい具合に車から這い出てたんですね。二波・三波がその家を直撃しなかったんで、その家があったのがラッキーでしたね。でも、女房以上の奇跡的な生還は、いっぱいあります。

 私にすれば3日間亡くなったと思ってますから、娘と城山の上から拝んだんです。そしたら3、4日経って、生きてたよ、安渡(あんど)ってところで助けられたよって、人づてに聞いて。ほっとしたっていうか力が抜けた。男はかっこつけても女房がいないと。とくに俺は、女房がいないと生きていけないから。女房と実際に会えたのは、地震から4日目でしたね。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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