東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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自然のふるさと

吉里吉里という地に越してきて

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  • 話し手: 芳賀正彦さん
  • 聞き手: 中村駆
  • 聞いた日: 2011年7月10日
  • 021/101
ページ:2

地震 ―揺れたんだ―

 11の日は、娘は保育園の勤務だったの。平日の午後、女房と俺は昼ご飯食べて、家で寒かったからストーブをつけてテレビ見てたの。その時にあのとてつもない地震が起こったの。地震で結構な時間揺れました。地震が始まって何も動けなくて。女房と2人で揺れが終わるまで、台所の丈夫なテーブルの脚にしがみついてたの。そのくらいの揺れだったの。震度7くらいでした。

 あの地震だから、俺の家もすぐ海の近くだから間違いなく大きな津波が来る。直感したもん。すぐ逃げたもん。だから、小学校にもう真っ先に逃げた。女房は長い事、吉里吉里保育園に勤務してて、園長先生もやったから、震度3、4の地震があると真っ先に体1つで吉里吉里保育園に下がって逃げる用意の手伝いをした。今回もそうだった。

 地震も怖かったかな。地震も、本当おそろしいもんだなぁ。あのくらいの揺れは、何もできないんだもん。津波が来た時のために防災備品、電池とかヘッドランプとかも俺はちゃんと用意してたの。それすら頭の中に思い浮かばなかった、逃げる事しか考えなかった。俺が避難場所に行って身に着けてたのは携帯電話だけ。だから、避難経路は、どの道を通って避難場所に行くかだけは一番重要だと思ったね。津波とか地震のためにいろんな非常食とか蓄えるじゃない。こんな巨大な災害になればね、何も役に立たないよ。持って逃げられないもん。真っ先に逃げる事。避難経路が一番大事。

 あの巨大地震でもね、俺が知る限り大槌、吉里吉里あたりでは津波による被害で、地震による被害は1つもない。横揺れだけだったためでしょうね。今風の造りする家もいっぱいあるし、うちみたいに在来工法の家も。そういう、いろんな家があったの。

 

津波のこと ―聞くたびに1回津波を見たいと思っていた―

 女房は何回か見たことあるんだね。十勝沖津波とか大した波じゃなかった。父親は昭和三陸沖大津波。津波ってこういう風に来るんだよって聞いてたけど、聞くたびに1回津波を見たいと思ってた。もう一生津波を見る事ないかなって思ってたの。ところがこんな津波。

 真っ先に逃げたから、避難場所の吉里吉里小学校のグランドからずーっと最初から津波を見てました。1波が来て、国道近くにある住宅が1列2列、国道に並行して北の方にサーっと置き船みたいに流されってた。普通は、1波が引いてしばらく置いて2波が来るの。その時は1波が引いたかと思うと間もなく一番大きな2波が来た。2波の波で全てやられた。町がなくなった。2波が引いた後、吉里吉里の湾の海底、磯が、岩場が、真っ黒い色して見えたんだよ。湾の防潮堤のあたりまで、海底が全部見えた。そんな大きな引き波だった。1波が近づいてきたその後ろに2波の波があった。3波の波がずっと向こうに行ってるのはわかった。

 見た瞬間怖かった。この世のものか、現実だろうか思ったね。家が流される、船みたいにして流されて建物がそのままダーと。小学校の避難場所のすぐ下まで波が来る。真っ黒い海底が見える。2波の波っていうのも真っ黒い波だったもんね。津波の波自体が真っ黒。色んなもの混ぜ込んで。津波ってこんなもんだなぁー、2波3波あたりは小さな津波かなってそんなこと考えることはできなかった。息を飲むってかね、ただ茫然とボーってみるだけだった。

 

「復活の薪」 ―自分たちの自立へ―

 避難所にお風呂(河童の湯)があるでしょ。避難所にいる人たちにお風呂に入ってもらったりとか。県の方で農林課の深澤さんがここに設置してくれたの。県の職員さんのほかに全国からいろんなボランティアの人、職員さんが手伝いしてくれる。「復活の薪」はね、ヒントを下さったのはその中の男の人が、ボイラーの薪を作りながら「これボイラーの燃料だけじゃなくて売れるんとちゃうんか」って。兵庫県のボランティアで阪神大震災を経験した子なの。彼の一言で、あっ、金にしようよって。俺がみんなに、避難所でじっとしてるよりは体動かして、小遣い程度にしかなんないかもしれないけど、何かを生産するって、自立の少しの手助けになればと思うから始めようやって、呼びかけたん。そこからスタートした。

「復活の薪」の名付け親、岩手県遠野農林振興センター林務課長の深澤光さん

 「復活の薪」っていうんは深澤さんが命名した。なんでも深澤さん。深澤さんがいなければ「復活の薪」はなかった。そして兵庫県のボランティアの一言がなければ、このプロジェクトは始まってない。

 毎日薪を作って、日曜日とかそんな関係ない。俺たちは津波の日から今日まで、1日起きてる間は、自由な時間、自分たちの時間を1回も持ったことない。もう4か月になって。

 薪を作って、汗流すことによって、何か作り出しえるとか、俺たちはできることを今、すでに行動に移して自立しているって、自信って力を感じてると思う。この前、販売した薪の売上を、作業している人たちに還元するために分配したの。ほんのわずかな金なんだ。まぁ小遣いにもなんないかもしれないけど。配ったら「金のためにやってるんじゃないよ、うれしいからやってるんだ」、みんなそうおっしゃる。そん時はうれしかったな。

 「復活の薪」のメンバーっていうのはみんな避難所生活してたやつらばかりなん。被災者なん。仮設住宅に移れた人もいるし、まだ避難所にいる人も。みんなそういう方。みんな被災者。薪売ったお金はすべてその作業した人に還元する。俺は、最初に貰った金は、女房に化粧品をプレゼントしたんね。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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