東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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震災で価値観が変わった

大槌のために役立ちたい

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  • 話し手: 田中明博さん
  • 聞き手: 大崎智子
  • 聞いた日: 2011年9月3日
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震災の前 ―人生に悩んで「毎日が苦しかった」

 名前は田中明博(たなかあきひろ)です。昭和47年12月25日生まれで、38歳です。吉里吉里で生まれ育ちました。自宅は吉里吉里2丁目にあります。父も母も吉里吉里出身ですね。昔は、吉里吉里同士とか浪板とかで、結婚するパターンって多かったんです。親戚も吉里吉里にほとんどいます。

 これまでは、大槌の町役場や町立図書館の臨時職員をやったりしていました。現在は、公益社団法人シャンティ国際ボランティア会岩手事務所に勤務しています。

 自分の将来のことをすごく考えてた時期だったんです、ちょうど震災の前が。ここは田舎だから、情報が一気に伝わってしまうんですよ。いいところでもあるし、悪いところでもあるんですよね。これからの人生をどうしようか、とか考えて、苦しんでた時期ですね。将来は見えなかったですね、毎日毎日が苦しかったですね。

 

震災に遭って ―当日「何が起きているのか、わからなかった…」

 震災の当日は、釜石市内の鵜住居(うのすまい)地区にいました。机の下に入ったんですが、壁も上も崩れて来て、建物から出よう、ってことになって。1週間前も同じクラスの地震が来てるんです、震度6弱の。そのとき津波は50センチしか来なかった。だから今回もなめたんですよ、正直初めは。だけど今回は揺れが収まらなかったなかったので、おかしいぞって。1週間前は強くて短い、今回は強くて長い。

 自分は帰る方法がなかったんですけど、たまたま親戚の方がいて。「田中さんちょっと待っててね」って、逃げるまで30分かかりました。その間も警報は鳴ってるんです、3メートルの津波が来ます、って。どうせ3メートルだし、防波堤が防ぐって思ってたんです。でも実際来たのは10何メートルですからね。津波は見えなかったんです。何でかって言うと、三陸鉄道っていうのがあるんですよ、今は跡形もないですけど。その三陸鉄道が、盛り土の上に通っているので、海が見えなかったんです、自分の視点からは。ただ、海のほうが騒がしかったんです、ごぉーっっという何かが壊れているような音がしたんです。わかんなかったです、何が鳴っているのか。地面が揺れてるのは地震だ、と俺は思った。でも今思えば、津波が迫っている音と、津波が迫ってがたがた地面が揺れてたんですよね。

 それで、その方が「さぁ、田中さん乗って」って、車が大槌に向かって走り出した瞬間に、津波が迫って来たんです。トンネルを抜けると大槌なんですけど、トンネルに入る手前で津波を見たんですよ。自分たちが鵜住居を逃げた瞬間に、津波が鵜住居を襲ったんです、第1波が。1分の違いで。もし1分遅かったら自分は…。

 マストってショッピングセンターがありますよね、あのあたりで津波が大槌を呑んでるのが見えたんです。吉里吉里に向かってその先のトンネルに行ったら、男の人が立ってて、もうダメだ、トンネルから逃げろ、って。車のほうが早いと思ったんで、トンネルの中でUターンをして、マストの手前のローソンに停まったんですよ。そしたらそこにも津波が来たので、車を捨てて逃げて、近くの山に登りました。

 自分たちは2人だったんですけど、近くにお年寄りとか若い女の人もいたので、5人で手をつないで山に登りました。少しでも高いところ高いところって。そしたらば、あのマストと同じ高さの津波が来ました、第2波が。道路の反対側の団地も3階くらいの高さまで、津波が来ました。第1波か第2波が引いて戻りながら、またおっきな津波がかぶさって来た感じで、とてつもなく高かったですね。目の前で何が起きてるんだろう?って、信じられなかった。津波と同時に震度5クラスの地震が何回も来て、津波・地震、津波・地震でした。もう何が起きてるのかわからなかったです。

 で、津波が引いたと思ったら、目の前のガソリンスタンドが爆発したんです。火が出てたんで、まさかまさか、と思ってたら、ばーんって爆発して、それこそ油田みたいに火柱がごーーっっって上に上がったんです。その火が周りの家に移って行きました。でも、もうどうしようもないじゃないですか。誰も止めることができない。自分たちも大槌が燃えるのをただ眺めるだけでした。女の人が、「大槌がもうなくなる」って泣きながら言ったんですけど、自分は正直吉里吉里が心配で。一刻も早く吉里吉里に帰りたい。でも、もう大槌がこの状態なら吉里吉里も浪板も同じかなぁ、と諦めてました。

 夕方の6時頃まで山で見てました。でも雪も降って寒くなって来たので、まずいということで山から下りて。そのときはもう波は引いてました。驚いたのは、マストの前に、あのマストの高さまで家がごっそりありました。

 で、今度は南部屋産業っていうオレンジの建物に行きました。そこには200人くらいの人がいました。お年寄りも子どももみんな、そこに逃げてました。ドラム缶で火を燃やして、暖を取ってました。ちょっとでも風を防ぐために足下に段ボールをかぶせたりして、9時くらいまでいました。でもあまりにも寒くて、大槌はどんどん燃えて行って、どっこもプロパンがばんばん爆発して行って。ここにいてもダメだ、って判断で。そこに、トラックが2台来たんですよ。その2台にみんな乗り込んで、避難場所まで運ばれました。最初はお年寄り、女性、男性、って順番で、何往復もしました。自分が運ばれたのは、寺野弓道場というところでした。

 そこにはたくさんの人がいました、あふれんばかりの人が。真っ暗な中に運ばれて行って、だんだん目が慣れてきて見てみたら、端から端までぎゅうぎゅう詰めでした。ストーブの周りにたくさん人が集まって、全然あったまりませんよね。自分はずーっと地面の上に膝を着いていました、寒さで震えながら、ずっと自分で体を擦りながら。結局一晩寒いなか、過ごしました。朝になって見たら、1000人以上はいた感じですね。

 夜の間中、どんどんそこに助けを求めて人が入って来ました。ある女性は震えながら、水が引かないから泳いで逃げて来たって。へんな臭いがしたんで、何で女性なのに?って思ったんですよ。後からわかったんですけど、津波は下のヘドロも巻き上げて来るので、その臭いなんですよね。釜石から山をつたって5時間歩いて来た男の人は、「釜石ももう終わりだ」って言ってました。あと中国人の方が100人近く逃げて来ました。

 気仙沼の大火事とかも、その夜ラジオで知りました。でも、大槌町も実は同じくらいの大火事でした。そこにいたって、プロパンの爆発の音が聞こえるんですよ、バーンバーンって。あぁあそこも燃えたか、あそこも燃えたか、って、みんな泣いてましたね。途中で男の人が様子を見に行くんですけど、自分は見に行く勇気がなかったです。朝になれば、否が応でもとんでもないものを見るってわかってたので、今は見たくない、大槌が燃えてるのを。

 人間て不思議なもんで、あのとき2通りの気持ちでしたよ。「早く朝になってほしい、そして吉里吉里に帰りたい」、でも、「朝になったらとんでもないものを見てしまうんじゃないか、朝になってほしくない」っていう2つの。あと、これは夢なんじゃないか、今起きていることは夢なんじゃないか、と思ってました。寒くて震えて、俺時計だけ見てました。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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