東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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石巻で生かされて

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  • 話し手: 後藤宗徳さん
  • 聞き手: 瀧野芳
  • 聞いた日: 2011年8月27日
  • 025/101

ホテルの2代目に

 後藤宗徳(ごとうむねのり)です。昭和33年10月19日生まれの53歳。石巻グランドホテルなどの経営をしています。家族は、妻と東京に息子と娘、ニュージーランドに1人息子がいて2男1女。

 気仙沼出身。今回の震災で被災した宮城と岩手の県境にある市で、街の真ん中の南町という場所で小学校3年まで過ごしました。それからずっと仙台。父の仕事の関係でね。もともと美容師だった母の発案で、「仙台で結婚式の貸衣裳業をやったらって・・・」、それで父親が貸衣裳屋を始めました。

 仕事が軌道に乗って、ホテルさんと取引するようになって、たまたま縁あって、ホテル経営を始めました。そして、12年前に私が2代目の経営者になりました。そのときのホテルは、古くなったので2年前に解体して、今は「石巻グランドホテル」ともう1件のホテルと結婚式場の計3施設を運営しています。

 社長という仕事は、会社の未来、進むべき方向を開拓していく、社員を引っ張っていかなければならない仕事です。原稿を作ったり、会議で使う資料を作ったりする時など、パソコンに向かう時もありますが、あまりじっとしているのは好きではないので、お取引先の会社やお客様の会社にご挨拶に行ったり、地域に関する会議等がある時は、そこに出かけて行って、地域全体が元気になるように活動してきました。

 

“ヒタヒタヒター”と水が来た

 地震が起きた当時はグランドホテルの1階にいました。未体験ゾーンでしたね。目の前のもの全部横に飛んで行きましたし・・・。今までも県北地震とか経験していますが、その時の2倍に感じる揺れ、しかも2分くらいの長時間。

 揺れがおさまってから、事務所の中は荷物が散乱している状態。ただ、建物に重大な損傷は無いものの、被害をすぐに確認しなければと思い、大きなひび割れの有無など、1階は自分で全部見て、全体はスタッフに指示して確認しました。内装やシャンデリアなどの照明器具、配管関係に損傷が見られ、鉄筋コンクリート構造のホテルで、これだけの被害が出ているわけだから、街の中には古い建物がたくさんあるし、別会社(結婚式の貸衣装の会社)の建物も街中にあるので、確認に走りました。

 その別会社の建物は、見た瞬間、柱が2本グチャグチャってなっていて、築約50年が経過した建物なので、「これはもう駄目だな。」と判断し「社員に即退去、自宅に帰りなさい!」と指示をしてホテルに戻りました。戻る途中、出会う地域の人は、皆動揺していました。隣の銀行の方とも話をして「皆さん大丈夫だったー。」「うん、すごかったねー。店の中ぐちゃぐちゃー。でも大丈夫だった。」「火だけ気をつけてよ。」そんな会話を交わしました。街は相当なダメージ受けていました。地震発生から5、6分の話です。

 会社に戻ってきたころ、外に設置されている防災無線から、大津波警報の知らせがありました。あれだけの地震です。津波警報が出るということも頭の中にはありました。津波が来てもここは、地理的に日和山が天然の防波堤になるはず、東側に北上川があるから、津波は必ず北上川方向から来ると想定しました。

 津波を警戒しながら、備品を2階に上げようと話をしていたら、ご近所の方々が右往左往し始めるのが見えました。思わず「避難して!」って叫びながら、2階に誘導していました。

ホテルのロビーが浸水被害に遭った

 住民の方々の避難誘導をしながら、対策を考えていた時、川沿いから黒い水が・・・、プールの水があふれるように、ヒタヒタヒタと迫ってきました。「来たなー!こっちまで来んなよー!」って。でも「来るな!来るな!来るなー!超えるなーよ!あぁ超えてしまった!入ってきてしまった!」という感じです。結果的に50cmくらい入って、壁の大理石が剥離していることも加わって、泥だらけで悲惨な状態。でも、人が流されるとかそうゆうものではない。物もそんなに浮かなかったですね。

 そして、その瞬間から、避難所の運営。避難してこられるみなさんとの共同生活が始まりました。

 



■ 宮城県石巻市

宮城県石巻
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