東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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石巻で生かされて

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  • 話し手: 後藤宗徳さん
  • 聞き手: 瀧野芳
  • 聞いた日: 2011年8月27日
  • 025/101
ページ:2

被災者の受け入れ、阪神大震災の経験

 受け入れた被災者の数は最終的に最大約300人。社員も含めると約330人。震災後しばらくは、スタッフも帰れなかったですね。地域の人々、たまたま通りかかった人たちが、大勢集まってくる。車は多くが水没。停電の影響で情報はどこで取っていいかわからない中で、携帯電話もつながらない。このような状況下では、人は人のいるところに集まってくるものです。身を寄せて対策を考えようとする方々が、たくさんいらっしゃって、車が無事だった人も、もちろんいたのですが、道路は水没や陥没、がれき等で満足に走れない。

 私は、阪神大震災の時にボランティアに行った経験があって、いろいろ感じたことがありました。その時の経験がとても役に立ち、今回の行動の原点になったと思います。あの経験あったから、自分自身がパニックにならずに済みましたし、社員をまとめることができたのも、避難者を受け入れて、きちんとした組織をつくることができたのも、その時の体験があったからだと思います。

 30代に所属していた青年会議所という組織で、阪神大震災時、「現地は大変なことになっているからみんなで行こう」ってことに・・・。救援物資の搬入とデリバリー。その中でいろいろな要望の聞きとり活動もしました。その年は1年間、定期的に神戸に行きました。

 ほんの少しずつ商店が元気になっている様子も見られましたし、問題点もいろいろ見ました。ボランティアに来ている人が夜襲われたり、トイレが汚かったり。「頭洗いたいなー!と思っても、お湯が出ないので、1月だったから冷たい水で頭を洗いました。

 

幼少期と社長になった理由

 私は転校が多かったんですよ。気仙沼に小学校3年まで、4年生の時に仙台の小学校に転入して、またもう1回転校しました。借家に住んでいました。それを少しずつ環境の良いとこに移れる機会に引越しをしました。決してぼくが退学になったとかじゃなくて(笑)、そうゆう事情で引越しをした。

 父方の祖父は、気仙沼で漁業を営んでいました。釣りにはよく行ったけれど、祖父と行ったという記憶はない。むしろ父とよく釣りに行っていましたね。昔は軽トラックに魚が山積みしたままだった。だから、道端にポトポト落として行ってね、よく魚が落ちていました。魚市場の近くに住んでいたから、それを拾って切り刻んで針につけて、釣りのえさにして・・・。今は保冷車にきちんと積まれているけれど、それば昔の良さ。それを猫が食べたりしてね。

 それ以前は、虫に夢中でした。虫なら何でも取ってきて飼っていた。昆虫博士みたいなそんな感じで、山を駆け廻って、ヤンチャないたずらっ子でしたね。遊ぶときは同じ年の友達だけじゃなくて、学年を超えて一緒に遊んでいる。そんな感じです。でも、転校で仙台に来て、田舎から都会に来たから、虫取りなんかはやらなくなったわけです。それと、転校するたびに友達と別れることが嫌だった。

 大学は東京に出たくて、中央大学に進学しました。就活もして、自動車メーカーとか、流通関係に絞って、いくつか内定をいただいていた。

 でも、内定もらった夏休みに、実家に帰ってきた時、夜中に1人茶の間でタバコをくゆらせている父親の背中がやけに小さく感じた。小さいときに鬼のようだった父親の背中が、ある瞬間小さく見えたというか・・・「これは一緒にいないとだめなのかな?」って思い、東京に帰って、内定を辞退しました。

 これは多分、男でないとわからないかな(笑)。長男だったから・・・ね。弟は千葉で純粋なサラリーマンをしています。なかなか良い生活をしていますよ。「おまえが羨ましい」っていつも言う。

 

社員全員の解雇

 震災後、一番辛かったのは、1ヶ月から1ヶ月半の時ですね。避難所を運営しながら、会社の再建を、同時に考えなければならなかった。それに、社員に3月分しか給料が支払えない。スタッフのほぼ全員を一旦解雇しなければならない状態でした。レストランに全員を集めて、3月25日に話しをしましたが、みんな淡々と・・・冷静に・・・受け入れてくれました。いったん約100人を解雇しました。今日現在、約60人しか戻せてない。これが私の一番辛いところ・・・。

 でもね、解雇した子たちがボランティアで、避難した人たちの面倒見るために、ずーっと毎日来てくれたんですよ! そんなスタッフは宝物だね。ボランティアで来てくれて。なかには、毎日片道1時間歩いてくる子もいました。給料は出てないのに。避難している人たちを守ろうってことで往復2時間歩いて来るんですよ。頭下がりましたね。彼らは本当に宝物ですよ。彼らがヒーローです。

 あとは、一部の若い子たちには、この際、「新しい仕事探したら」とも言っています。コックさんの中には「東京で修行積んで来い!」って送り出した子もいます。いい経験になる。東京で最先端の技術を学ぶ良い機会になると話しています。田舎にいたままでは、学べないことが学べるから・・・。夢見てほかの地域に行った子もいるし、残念ながら、いまだに仕事が決まらない子が何人かいる。

 



■ 宮城県石巻市

宮城県石巻
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