東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

暮らしを語り、想いをつなぐ。

お問い合わせ

人とのつながりが大事な財産

タラコづくりを通して復興の手助けを

026-top
  • 話し手: 高橋一郎さん
  • 聞き手: 森山紗也子
  • 聞いた日: 2011年8月27日
  • 026/101

高橋さんの家族

 高橋です。昭和30年生まれの56歳です。

 もともとは北海道の生まれでして、親父の実家が石巻で小学校の3年生から石巻っちゅうところに。そこで学生時代過ごして。先代である父親も、水産関係の仕事を立ち上げて1人でこうやってきてたので、大学を出てから一緒に仕事をしてきたということですね。実家は水産関係とぜんぜん関係なく、北海道にいたときも農家をやってました。私が大学卒業する前の年に、先代の社長の親が亡くなって、男手がどうしても必要な部分があったので、学生時代から夏休みっていえば、試験が終わった日の夜行で帰って、次の日から仕事手伝ったりとか。冬場なんか一番忙しい時期なんで、試験終わればそのまま帰って仕事ですね。ただ、その時期頑張れば当時は冷蔵庫とか少なかったんで、夏場なんかは1ヶ月くらい夏休み。冬場は忙しいけど、夏場は遊べるなと。今は冷蔵庫と流通が365日休まずなので我々もなかなか休めない。日曜日は基本的に工場の仕事は休みますけれども、販売先とかの配送とかもあって、そういうのは家族とかでカバーしてやってます。

妹さんが仙台で始めた『たらこcafe』

 私には姉と妹がいます。どちらも仙台に住んでまして。妹のほうが仙台の新寺(しんてら)というところで、マンションの1階を使って震災後、うちのタラコを店頭で販売しながら、それを使ったお食事を提供する『たらこcafe』を始めて、ちょっと今話題にはなってます。実家の手助けになればと、今、がんばってもらっています。なかなか積極的な妹で、自分で店を設計して工事頼んで、ちょっと遅れた感じですけれども、何とかオープンにこぎつけて。「早くタラコも作ってよ」って、要望されましたね。今はタラコどんぶりっていうのを提供したり、後はショーケースで並べたタラコを大分けして売ってます。

 私の母親がまだ元気でいたんだけれども、こっちは今のところ生活するには大変なんで、姉のところで面倒見てもらっています。

 私の自宅は石巻の全壊地域で住めない状態なんですけども、たまたま市内に家内の実家があって、おばあさんが1人で暮らしてて、そこは被害がほとんどなかったので、私と家内と息子2人転がり込んで。長男は震災前からうちの会社に戻って仕事をしてたんですけれども、3番目の子が、ちょうど大学4年の春休みというタイミングでたまたまこっちに帰ってきてまして。もう東京に就職先とアパートを決めて、卒業証書もらったら行くばっかりになってたとこなんですけど、何日か避難所暮らしをしながら、「どうしよ」っていう相談受けまして。東京の会社に行くのもいいしっていう話はしたんだけれども、最終的には本人もこの現状見て、ま、自ら育った石巻の復興を「うちを手伝いながらこの目で確認したい」と。ただ、その就職先もありがたいことに1年間猶予をくれてはいるんです。でも、5ヶ月も経ってうちの仕事してると性に合ってたのか、楽しくがんばってますね。息子2人が手伝ってくれるんで、われわれも前向いて仕事する気になれますし、頼もしい限りです。

 真ん中の子は当時から就職して、神奈川のほうにいます。5月の連休とか、ペットボトルにいっぱい水買い込んで、「あと何いるんだー」とか。「瓦礫の処理に厚手のゴム手袋必要だ」とか、いろいろ買い込んで車できてくれましたね。

 



■ 宮城県石巻市

宮城県石巻
「聞き書き」とは 詳細はこちら 一覧はこちら