東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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タラコづくりを通して復興の手助けを

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  • 話し手: 高橋一郎さん
  • 聞き手: 森山紗也子
  • 聞いた日: 2011年8月27日
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タラコ作りに適した加工団地

 もともとは自宅の脇に小さな工場を建ててそこでやってたんですけれども、石巻の魚町(うおまち)に新しい漁港ができて、そこの一角にわれわれも進出して今に至ってたっていうところですね。加工団地は私が引っ越してきたあとに出来上がったものなんです。以前は河口にあった市場を今のように外洋に面して作って。そこの港に大きな船が入るっちゅうことで、入り口に加工団地を形成して、そこで大きな仕事されてたっちゅうとこが多いですよね。今回そこも一番被害受けて、水揚げもできないで、背後地でその水揚げを待って仕事してた業者さんはこれからを模索している状態ですね。軒数的には大小含めて100軒以上。あとは加工だけじゃなく、それに関わる運送業なりなんだったりも含めて、いろんなところがそこに集約してきたという地域でしたね。

 もともと石巻にはスケソウダラという魚があがって、おなかに入っている原料だけを買い取って、タラコとか辛子明太子に加工してたんです。親のほうはすり身でかまぼこの原料になる。

 タラコを扱ってるところは、20年以上前で一番多いときで4、50軒あった。あとは200海里以降漁獲量とか規制されて水揚げが思ったように行かない時期もあったりしまして。だからわれわれの原料もほとんど今は輸入品。アラスカ海域で獲れたものをアメリカ経由やロシア経由で。だから、今思うとあえて魚町で水揚げしていた魚を使わなくても、商社が輸入して持ってくるもの。だから加工場さえあれば仕事はできるというような形。まあいろんな、冷凍した原料保管するだとか、つくったタラコをまた凍らせて保管するとか、それを各消費市場に配送するとか。そういったね、運送とか保管とかいろんな面がそこにあったのと、あとは一番大事な加工する人材がそろっている地域であったので、加工団地でやるのが一番良かったわけですね。

 

塩釜での再スタート

 振り返ってみると先代から40年続けてますね。それまで北海道でジャガイモ作ってて、石巻に帰ってきてできた気の合った友達が水産関係の仕事してて。やる気があったら一緒にやってみないかと誘われて。初代も負けん気があるので、50あった同業者と切磋琢磨してた。

 タラコは一時石巻が生産量日本一にもなりました。そういう名産ではあった。今回の震災に際しても、私の知ってる同業者に、せっかく石巻はタラコや明太子で名前を全国に売ってるんだから、あきらめずにまた仕事をやろうっちゅうことで声かけ合って。いち早くやったり、まだ準備中のところもありますが、またみんなで石巻で仕事ができればいいなと考えています。ただ、事業としては塩釜で仕事できるように立ち上げたので、今までなかった塩釜営業所というポジションで、この被災をいい経験に、リスクの分散といったこともしようかと。今までは効率化考えると集約して1ヶ所で何もかもできるようにできればいいなと思っていたけれども。経費の面で負担は出るけれども、これから長くやっていくぶんには、それぞれの地域性でいいこともあるんで。塩釜は塩釜で皆さん面倒見てくださってありがたく迎えていただいています。

 今働いている人は石巻から通ってます。震災以降、従業員も散り散りになりまして、全員の安否を確認するまで2ヶ月ほどかかりました。誰がどこの避難所にいたよっていう情報もらうとそこに行って、名簿を見たり各部屋を探したりしながら。幸いにもうちの場合は全員無事だった。ただ、住む家をなくした人らも多かったので、すぐに仕事の再開っちゅうのは難しかったですけども。私自身はとにかく再開しようと、そのときから思っていました。復興を支援してくれた人たちに恩返しなり復興の手助けをしようということで、われわれにできることは仕事をして、食品製造によって皆さんに食べていただくと。それが恩返しや復興の手助けになる。

 ただ、うちらの住んでたところの現状は、5月のころとほとんど変わりない。道路の交通網はだいぶ改善されてますけど、仕事する環境にはまだまだほど遠い。地盤沈下しましたから、それを改善するのに大掛かりな土木工事が必要なんでしょう。それだけ時間はかかると思いますね。通勤に不便なところに工場立て直して従業員に通勤させるっつうのはちょっと難しいだろうなと思いまして、ともかく早くできるところっちゅうことで塩釜を目指して今やってきたんです。

塩釜の加工工場で事業を再開した

 最初は北海道や九州に工場あるよっていうことで行こうかと思ってたりしたけど、従業員のこと考えると、自分たちだけでは仕事にならないなと。それで塩釜にも知人がいて、めぼしいところあるから見せていただいて、その場ですぐ決めました。工場をきれいに直して。道具は少しずつですけれども準備して、あとは人の力でできるところはそれをして。もともと手作業の部分が多い仕事なので。

 原料は塩釜港に入ってきます。塩釜ももともと漁業の町なんで、ま、石巻でそろってたようなものがすべてこの環境ではそろってる。仕事はしやすいですね。仕入れるのは商社さんなんですけど、大量に原料を保管してたうちの冷蔵庫は津波で流され、電気も止まって、すべて腐敗しちゃった。それを石巻の地域の業者で協力しあって海に戻しました。うちの場合は原料ひとつも残ってなかったんです。それでも先代の社長から始めて40年やってきた信用だけで、高価な原料を分けていただいて、おっきな商社さんも代金は回収した後でって対応してくれてるんでありがたかったですね。そういうのがないと、いくらこっちがやりたいやりたいといってもスタート切れるわけではないので。製品を販売してくれる、東京の築地市場なんかにはまた出し始めています。待っててくれたお客さんもいるし、その対応は様々ですね。皆さんから応援していただいてありがたい限りです。

 

お客さんに安全なタラコを

 作業工程を簡単に言うと、冷凍の原料を1日使用する分ずつ解凍して、それを次の日、調味づけして溶かして、熟成させる。その後にひとつずつタラコの形を整えたり、表面についている不純物があれば丁寧に取り除いたりを全部手作業で。買ったお客さんがそのまま口にして食べるものなんで、生のお刺身作ってるのとおんなじような感じですね。塩加減と調味料とかも入っていますんで、見分けができるようになるには、まあ、2、3年はかかるんじゃないんでしょうかね。だから塩釜に来ても、働いている人は全員石巻から通っている。

 震災前はハセップという世界基準の衛生管理の認定も受けた工場でやっていました。衛生面は非常に大事なんで、今もそれを考慮した工場に少し改装してやっています。そこでできた商品を従来のお客様に「再建しました」っちゅう案内とともに出させていただきまして、そうするとお客さんから「待ってました」っちゅう言葉と同時に注文いただいたり、直接義援金くれる方もいますし、地方の名産を従業員の皆さんで食べてくださいって送ってくれたり。注文表と一緒にいろんなコメントも書いてくれるので、それを従業員と一緒に見て、働く喜びや、生産の意欲っちゅうのを持って仕事を進めていますね。

 タラコは年間500トンつくりますかね。築地などの中央市場や量販店にも流れてました。その中でずっと、直接末端のお客さんにうちのいい商品を案内したい、という思いがありまして、それで工場の横に小さな売店をつくって、そこで地元の人だけでも買えるようにした。わざわざ仙台から来てみたとか、帰省で東京からも来てくれたりとか。ハセップの取得を目指したのも、末端のお客さんに安全でおいしいものを提供するのにどうしたらいいのかと考えてたどり着いた形。ハセップを取るには化学的な分析も必要です。あと一番は現場で働く従業員の衛生管理。今までマスクもしていなかった人にマスクをしなさいっちゅうと、最初は息苦しいとか、めがねが曇るとか出てきます。そういうことひとつひとつから段階を踏んでいくと、よその人から見るとすごいねっちゅうことも当たり前のようにできるようになってました。

 



■ 宮城県石巻市

宮城県石巻
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