東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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吉里吉里の団結力を感じた

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  • 話し手: 松橋康弘さん
  • 聞き手: 中村駆
  • 聞いた日: 2011年7月9日
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自己紹介 ―松橋康弘です―

 私は松橋康弘(まつはしやすひろ)です。昭和61年11月13日生まれの24歳です。家族は両親と姉2人いますが、姉は2人とも嫁に行ってます。高校は釜石南高校、今の釜石高校です。高校時代はラグビーのロックというポジションをやっていました。大きな声では言えないですけど、勧誘がすごくて。あと地元の吉里吉里の先輩たちが沢山ラグビーをやってて「入れ入れ」っていうので。結構世話をしてくれる人たちだったんで、そういう繋がりもあって。大学は、北海道の室蘭の夜間大学で工学部に行ったんで、昼間はレンタカー会社で働きながら機械システム学部で勉強しました。大学を卒業して、2年くらい前にこっちに戻ってきました。今は父親の代からやってる観光バス事業をやっています。

 

学生時代 ―遊び足りなかった―

 小学校や中学校のときの遊びは、夏はやっぱ海水浴です。毎日のように海に行ってました。あと、釣りとかもしてました。小学校の時とかは時間を持て余してるので。

 私のとき小中学校は、1学年41人でギリギリ2クラスですね。生徒がすごい少ないんで、全校生徒を知ってる感じですよ。今は何人もいなくて、同年代は10何人とかです。

 当時の友達はほとんど連絡は取れるし、去年の年末も皆で集まったりしました。

 埋立地が公園で、遊び場所だったんですね。泳いだりしました。砂浜じゃなくて、ほんとはダメなんですけど、飛び込んだりとか釣りとかみんなでやってました。でも、あんまり山には行かなかったですね。

 大学時代は、今思えばもっと遊んどけばよかったなと思いましたね。あの時は十分遊んでるからいいやっ、と思ってたんですけど。寝ないでまで遊ぶのは嫌だったんですけど、今になればそんなこともできないし。もっと遊んどけばよかったなって。

 

地震 ―橋の上だったんで、すごい揺れて―

 地震の時、吉里吉里から5分ぐらいで行ける隣の町の大槌にいて。橋の上だったんで、すごい揺れて。橋から普通の所まで車で走って行って揺れが収まるのを待って、速攻吉里吉里の家に行って。物取ってる時も余震が何回もきて。凄い揺れたんで、帰る前は、家が崩れてるかなって思ったんですよ。家戻った時に崩れてなかったんで。母親が酒屋をやってるので、家に帰ったら全部酒が倒れてて、すんごい臭くなってて、片付けなきゃねぇなと思って一応物とか運びました。津波があったんで、片付けることもなく、自分の車と仕事で使っている車と母親の車3台を高台にあげました。その時はあんなおっきい津波が来ると思ってないので、何回も家に戻って。でも誰も止めなかったんです。父親が1回家に来たんですけど、私が家に戻った時に、「すぐ逃げろ」って言って、父は会社に戻ったんですよ。なので「流されただろうな」って思ってました。でもギリギリ逃げれました。トラックで逃げててもう無理だってことで車を道路に置いて、そして山に上がって助かったんです。けれど車は流された。

 もう1人ダメだと思った、津波の直前に会った友達がいた。宅配の仕事やっていて、「逃げなきゃないの。やばいから逃げろ」って言ってもう1回戻った時に、まだそこにいたんで、無理かなって思って。次の日避難所に行ったら車がいました。

 小学校に逃げて、津波で吉里吉里が海のように水びたしになってるところしか見てないんで、そして、家が壊れた時の土埃で、全く見えなくなって。

 かなり揺れたんですけど、情報が全然入ってこなかったんで、震度何だったか未だにわからないって感じです。7っていうようなことですが。

 すごく揺れたんで、地震に対する恐怖はありますね。揺れるなってわかるんですよ。地鳴りがするっていうか、横になってると来るなってわかるんですよ。そうすると大きくなるんじゃないかなって。静かに揺れ始めて長くなると、ドーンときたらどうしようとか。緊急地震速報も携帯で鳴るじゃないですか。それが鳴るたびにピリピリってびっくりするじゃないですか。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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