東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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吉里吉里の団結力を感じた

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  • 話し手: 松橋康弘さん
  • 聞き手: 中村駆
  • 聞いた日: 2011年7月9日
  • 028/101
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津波の後 ―復興に向けて―

 津波の後は、みんなから連絡が来てましたね。1週間携帯を使えなかったので、メールが70件くらいと着信も70、80件くらいあって、返信に2日3日かかりました。

 津波が引いた後に助けてくれって言われて小学校から海の方に降りてったら、私の3つくらい上の奥さんが流されて亡くなってた。その人に心臓マッサージとかしてて、その横におばあさんも亡くなった状態でいて、そんなところに行って、でもまた波が来るかもしれない。それも怖くて。はじめは本当、夢じゃないかと思うのはこういうことなんだなと思いました。

 吉里吉里では、色んな職種の人が多いので、なんでも分担して自分たちでやります。建設業の人もいれば造船業の人もいるので、鉄骨が倒れてるとなればガスバーナー持ってきて切ったり、鉄骨を建設業の人が機械でどけたり、そういう風にどんどん道路を自分たちで造っていく。私も行きました。会社の仕事で使っているRV車があったんで、それもどうにか小学校にあげたんで、物取りに行くとか、ガスバーナーで使う酸素やガスを取りに行くとか、そういうのに使われていました。

 避難した小学校が孤立っていうか車では来れない状態だったんで、朝5時くらいから2、30人で作業を始めて7時8時くらいにはとりあえず車で来れるようにはしたんです。道路をこういうふうに造れば通れるだろうってことで、狭い道でもいいから造ろうって。あと、機械を持ってる人は機械を持ってくる。そんな感じで、地域の団結力はすごいなぁと思いますね。

 おじいさん所にあった4台のバスをすぐ小学校に上げて、バスから100Vの電源を取ったんです。小学校が全部停電だったんで。それで3週間ずっとエンジンかけっぱなしで電源にしました。軽油は、ガソリンスタンドから持ってきたり、流されたトラックから抜いて来たりして、ずっとエンジンかけっぱなしで小学校に電気を取って、豆電球みたいな電球を点々とつけて。バスは4台あったんで2台は電源用で、あと2台は寝るところもなかったんでそこで寝てる人もいました。2台の電源用のバスでも寝ている人もいましたね。1台は消防団の本部にして、会議とかしてたりしていました。

 発電機もあったんですけどエンジンがかかんなくてバスのエンジンをずっとつけっぱなしでしたね。3月の末に小学校に電気が来ました。

 避難者の名簿を作ってネットに載せるとかいろいろありましたよね。名簿作るのはパソコン使ってやりました。

 津波の後は3日くらい腹が減って大変でしたね。1日目は津波の後、8時くらいにおにぎりが1個出ました。それは、普通かちょっと足りないかなって感じですけど、次の日は朝から何も食べないで。寝れなかったんですよ、緊張して全然。2日目の朝早くから道路造んなきゃないってなって、看護師さんに「薬下さい」って言ったら「ご飯食べなきゃだめだから」って言われました。それから初めて夕方におにぎり1個貰ってそれで終わりです。3日目も朝ちょっと出て、お昼もご飯がないからってコンビニからひろってきたポテトチップスとか、1個ずつとかカップラーメンにお湯入れないでみんなが麺だけぼりぼり食べるとかそんな感じで、そして水は出ないんで、飲み物は販売機が結構流されたんで無理やり開け、飲みはじめました。きつかったです。腹は減るし、のどは乾くし。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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