東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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郵便局長として暮らす第一の故郷“吉里吉里”

中村和夫さん
  • 話し手: 中村和夫さん
  • 聞き手: 吉田麻美子
  • 聞いた日: 2011年7月9日
  • 030/101

遠野で生まれて

 中村和夫(なかむらかずお)といいます。63歳です。昭和23年2月9日生まれです。出身は遠野なんですよ。吉里吉里ではないんですよね。うちの家内が吉里吉里出身で。

 私は兄弟6人で、男兄弟5人、一番下に妹がいるんです。5番目まで男で、私は5番目なんです。私の兄弟ね、これがまたね、5人とも全部郵便局なんですよ。妹だけは郵便局入らなかったけど。よくいう郵政一家ってやつですね。もう4人は退職して、勤めてるのは私だけですけども。親父以下、息子4人全部郵便局。実家では、長男が跡継いでやって、長男の息子がまた跡継いで3代目でやってます。郵政事業でみなね、飯を食わしていただいてるので、その分地域のみなさんに恩返ししなきゃならないと思って一生懸命やってるつもりですけどもね。

 

奥さんとの出会い、そして吉里吉里へ

 最初は東京の赤坂の局に入って、それから各地で勤めてきました。そこで、家内の父親が引退するということで、それで、跡を受け継いで吉里吉里郵便局長を約30年くらいやってるわけです。まだ、35、6歳のときかな、ここへ来たのは。実際吉里吉里で過ごしたのは、約30年くらいになりますかね。

 家内の親父がここの郵便局長やってて、私の親父も遠野で郵便局長やってたんですね。親父同士が知り合いで、それで話が。お見合いっていえばお見合いだな。こういう人がいるけどどうだっていう話がね。だから、私はお婿さんなんですよ。

 親父は1人ぐらいはくれてやってもいいと思って、話したんだね、親同士で。せがれくれてやっかっていうような話で(笑)。

 うちの家内は娘4人の2番目なんですけど、こちらは女ばっかりの兄弟で。うちの家内は横浜の方で幼稚園の先生やってたんです。私と一緒になってからね、息子が生まれたときにね、退職したんですよ。やっぱりなかなか、子どもを預けてね、ちゃんと稼ぐっていうのは大変だったからね。

 私もね、東京の方に出ていきましたから、都会の方で家を構えるのかな、と最初はそう思ってましたけど、こういうことで吉里吉里へ来ることになって、今郵便局長をしています。

 子どもは、息子の娘と2人。息子は38歳くらいですね。所帯持って仙台で生活してます。やっぱり郵便局勤めてるんですよ。共稼ぎでね。

 娘は33歳で、今一緒に生活してます。娘がそばにいるのは、親としては、何かというときにはやっぱり、安心かなとは思ってはいるんですけどね。やっぱり、男っていうのはあんまり頼りにならないからね。やっぱりいざっていうときは娘なんだろうね。

 息子は、東京にいたときだから、私が25歳のときに生まれた計算になるかな。娘は、ちょうど今から33年前、宮城県沖地震があった6月12日、その日に生まれた娘なんですよ。津波こそ発生しなかったですけど、相当の建物の被害が出た地震でしたね。だから今度の震災なんかも、すぐ思い出して、あんときもそうだったなぁって思うんですけどね。

 その時は、お産で家内はこっちへ帰してて、釜石で出産して「今日産まれたよ」って職場に電話が来て、その夕方の地震でしたからね。あれから33年経ってますからね。

 孫は2人おります。3歳と7歳かな。

 

津波で流された郵便局舎

 局舎は全壊で、建物がなくなっちゃてるんですね。ちょうど今から10年前に局舎を新しくしたところだったんですよ。それが一瞬にしてですね。

 局舎は国道よりちょっと中に入った方ですけど、波が防波堤を越えちゃうと、もう一番に来てやられる、ていうとこですからね。吉里吉里でも低いとこだということで、防波堤を越えるような波が来たときは覚悟するというような感じだったですけど。まさかねぇ、こんな津波になるとは思わないから。もちろんね、周りに住宅もいっぱい建ってました。自宅だけは幸いにも残りましたので、自宅も流され、家族も失った方を考えるとね。毎日見ては、そう思うんですけどね。

 退職まであと少しという、退職間際にこんな思いをするとは思わなかったですね。これから後輩に跡を継いで退職できるかなと思ってた矢先にね。非常に何とも言い難い気持ちでいっぱいですよ。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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