東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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郵便局長として暮らす第一の故郷“吉里吉里”

中村和夫さん
  • 話し手: 中村和夫さん
  • 聞き手: 吉田麻美子
  • 聞いた日: 2011年7月9日
  • 030/101
ページ:2

3月11日

 前日、盛岡で会議がありましてね。1泊をしまして、次の朝ホテルから出て、家へ帰ったのが12時前後だったかな。午後からまた仕事をしようというつもりで、出勤したんです。

 それから、1時間ちょっと後の地震でした。14時46分です。

 うちの郵便局の社員は、私入れて3名なんです。今考えると、もし私がその日、局に出なかったら、社員はどうしてたんだろうと、つくづく思うんですね。普段から、避難場所は吉里吉里小学校だよ、と社員に話しております。でも、もし私が不在のときにね、これが起きてたら、果たして社員の2人がどういう判断をしたのかなぁと、ときどき思い出すんです。もちろん大きい地震だったし、長かったからね。社員2人でも、的確な判断をしてくれたとは思うんですけども、万が一判断が迷ったり、仕事のことを考えたりして、職場の中でちょっとでも躊躇していたら、社員2人を犠牲にしてしまったんじゃないかなっていう思いもありました。今回の津波は、30分ちょっとで来てますのでね。

 私は33年前に、宮城県沖地震で地震の大きさは経験してますけども、それより大きい地震でしたし、揺れてる最中に局舎のなかも停電にもなりましたからね。建物の揺れ方も、半端じゃなかったです。

 私は、いつも座ってる後ろのところに携帯ラジオを置いてあるんです。スイッチを入れたら、ラジオの地震情報は、震度5か6と言ったかな。それに合わせてその地震による津波が、大津波警報ということだったですね。6?7mの津波が三陸沿岸に押し寄せるというNHKの地震情報だったような気がするんです。6?7mということになると、この吉里吉里の防波堤をね、ゆうに超える大きさだっていうのは直感しましてね、しかもその押し寄せる到達時刻が早いという情報でしたね。ですから、何か物を取り出そうとか考えてる暇がないと判断しましたので、とにかく社員を助けなきゃならないという思いがありました。ちょうどそのときは幸いにもお客さんがいなかったんです。ですから、金庫とか局舎を施錠して、何も要らないから、とにかく逃げようということで、社員2人を私の車に乗せて、そして、私の自宅に逃げたんです。

 私の自宅はね、割と高いとこにあるから、いくらなんでもそこまでは津波は来ないだろうという感覚でおりました。地域のみんなもその辺にね、居ましたから、そっから海を眺めてたんです。そうして、30分ちょっとぐらいで第1波の津波が来て、すごい勢いで、水があふれる状態で高くなってきて、堤防を越えるという、そうして物を押していくという、本当の津波というのを目の当たりにしてね。本当に恐ろしいという感じでしたねぇ。

 あぁやっぱり早く避難してよかったんだぁって思いがありますねぇ。何も持ち出せなかったけども、社員に犠牲者を出さなかったっていうのは、良かったなって思ってるんですよね。

 でも、ちょっと海を眺めてからね、社員も車通勤で、郵便局に車を置いてきたのを思い出したんですよ。それで「ちょっと車取りに行ってくるか」って、私も一度局に戻ったんですよ、社員乗せてね。そしてまた家へ戻ってきて、もう間もなくの津波でしたから。それ考えりゃね、無謀なことをした。危ないから逃げようって逃げてはみたものの、気持ちの中にはやっぱり隙がある、油断がある。たまたま間に合ったからいい。今考えると無謀な行為。何か持ち出そうかなんてまた局に入ったりなんかして、5分でも費やしてたら、やられてた。

 私が最初に社員を連れて逃げるときにはね、早かったせいだか周りには誰もいなかったですね。そんなに早く津波が来るのかっていう、「まさか」という思いがね、逃げ遅れて犠牲になった方をつくったんじゃないかなぁと思いますね。また、地震と同時に停電になりましたからね、町の防災のサイレンも鳴らなかったような気がしますね。吉里吉里には消防車も2台あるんですけども、そのサイレン鳴らす音も聞こえなかったですね。だから、地域住民に大津波が押し寄せるという情報の発信ができなかったのかなぁという気がします。これは災害ですからね、不幸にも停電で鳴らなかったといえば、それはそれでやむを得ないですが、それがあれば、もっとすぐに逃げて避難をした人もかなりいたんじゃないかなっていう気がしますけどもね。

 したがって、いち早い情報っていうのは、本当に重要なんだなって。今回私が今こうやっていられるのは、今までの自分の習性のお陰かなぁという風に思ってますのでね。携帯ラジオって重要なもんだなって思いましたよ。

 人間っていうのはわかってても、実際そういうことが起きないとなかなか準備もしない何もしないっていうのが常です。だけども今回の教訓ていうのはやっぱり、これから生かさなきゃならない、と私は思いますね。

 毎年3月3日に避難訓練っていうのもやってるんですよ。ここはチリ地震の津波も経験してるから。チリ地震の話は、聞いてきてはいますけども、結局時間が経ってるから話だけに終わっちゃってね。「まぁなに、今日は訓練だもんね」とゆうふうな意識がどうしても強くてね。「今忙しいし」なんて行かなかったりなんかするわけですよね。今思うと、やっぱり普段からの訓練とかそういったのは、大事なんだなと思いますよね。後悔先に立たずと言いますけども、やっぱりちゃんとやっとけば良かったなっていう思いがね、どうしてもするんですよね。もっと犠牲者も少なくて済んだのかなぁって。

 

吉里吉里への想い

 よく、第二の故郷と言いますけども、私もここは永住地ですから、第二でもなくて、第一の故郷ですよね。特に、吉里吉里地域っていうのは、互助精神の強いとこです。お互いに助け合うというね。何の地域活動でもなんでも、とにかくみなさん一生懸命。団結力のある地域ですよね。そういうふうに思いますね。

 例えば、大槌町にもお祭りはあるんですが、吉里吉里は吉里吉里地区だけでもやるんです。毎年8月にね、吉里吉里神社の「盆から祭り」って言って、昔は17日って決まってたんですね。今は、お盆続きで地域の人たちも忙しいという声もあって、4、5年前に日にちをずらしたんです。8月の最後の日曜日だったかな。

吉里吉里地区のお祭りで手踊りを披露するお母さんたち

 こういった小さな地域でもね、町名ごとに自治会がありますから。各町内会ごとに、自分たちで踊りを作って、山車を作って、そのあとに手踊りをするんです。お母さんたち子どもさんたちが、踊りを出すんですよ。だから、お盆中も踊りの練習もしなきゃならんわけ。だから、お盆中は夜になると練習するから、笛や太鼓の音がするんですよ。お母さんたちは、お盆の用意をしたりなんかして、次はお祭りの用意もしなんという、大変だっていう意見もあって。今はずらしてやってますけども。そいでもまだ前の方がいいって言ったら、それは地域のみんなでね、相談して決めることです。

 ただね、なかなかね、若い人たちも少なくなっちゃってね、人を集めるのが大変なようですけどもね。正直言って、お祭りを見る人より出てる人の方が多いっていう感じでもあるんですけど。それでもね、やっぱり1年に1回のお祭りだっていうのでね、一生懸命みんなやるんです。

10月に行われた吉里吉里小学校の運動会

 10月の第1日曜日に、運動会もやるんですよ。この吉里吉里地域の町名対抗の運動会。それこそ、子どもから老若男女。小学校や中学校の運動会もあるんですよ。だけども、吉里吉里地区大運動会っていうのも、毎年やってるんです。

 行事としては、運動会とかお祭りですね。あとは、町内ごとの清掃活動ですね。それから、夏の時期の海岸清掃なんかも町内一斉に朝早く出てね。そして、海水浴に来る方を迎えるということですね。

 昔っから、お祝い事がある、不幸なことがあるというと、地域のみんなが行って手伝って、助けあうというね。そういう精神っていうのはね、やっぱり田舎へ行けば行くほどね、そうやって助け合って生きてますから。そういう精神は海の人たちも強いです。団結力とか互助精神とか、何かやろうとしたときにみんな協力する、そういう地域だっていうことですね。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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