東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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1年中漁に出ていた。楽しかったよ

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  • 話し手: 笹谷健悦さん
  • 聞き手: 森山紗也子
  • 聞いた日: 2011年7月10日
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小学校出てから自然に漁師になったよ

 親父は漁師でうちの船でやってたらしいね、昭和8年まで。私は長男1人っ子。義理の妹が2人。

 小学校出てすぐイカ釣りしてたよ。湾からちょいと行ったところで、夕方3時か4時から。で、朝に帰ってきて。で、学校で寝てんの。先生もそれ認めて。20人くらい乗っけて、一本釣り。集魚灯つけてね。その船に乗ってたのは親戚。まだおれあ子供だもの。12、3歳で。楽しかったね。

同級生の話

 同級生は半分以上漁師。みんな遠洋で出払ってた。成人式のときもいなかった。かあちゃんとはお見合いみたいなもんだ。知り合うときは簡単に知り合うもんだ。かあちゃんは家の家事とかあとは手伝いだ。親父と母さんは一緒に生活してた。今母さんは仮設の老人ホームにいる。

 50歳まで船さ乗ったね。楽しかったね。海は好きだね。小学校のころは海で遊んだ。泳ぎ得意だよ。もぐって。アワビだの何だの採って食べた。山さも海さも行った。海さ行くときはね、どっかの家の芋さかっぱらって持っていって、食ったもんだ。そんな悪いいたずらしたもん。

 漁師の家もあればサラリーマンの家もあった。ここは釜石製鉄があったから、半分くらいそこに勤めに行ってたんじゃないかな。俺の同級生には分かってる範囲でサラリーマンは2人だ。あとみんな漁師さんだ。女の人はみんなよそに嫁いでしまった。ほら男がいないんだもん。ここで結婚しない。まあ、いろいろなことしたね。船では晩酌程度に酒も飲んだし、陸に上がればどこでも飲むと。

 お祭りのときもそんなにいなかった。つい最近、帰ってきたら神社の役ついてさ。お祭りも見られねんだ。お祭りの進行だとか何でもする。あとは船も船頭会とか、浅海業とか。いっぱいあるのさ。船頭会の長もやって、浅海業のグループの長もだ。浅い海でアワビとか採る、ここで一番大きいグループなんだ。浅海業はアワビの会期が始まると集まる。

 今から10年くらい前までは、ここはマグロ船員がたくさんいたんだ。神奈川県三崎に、だいぶここから行ったんだ。1年とか2年とかね。三崎へは汽車で行って帰ってくる。ここ(避難所となっていた体育館)に学校の門があったったんだね。あれ三崎でマグロ船さ乗ってた人の寄付なんだ。今80歳の人も行った。あっちに住み着いた人もいる。その時代で60人くらい行ってた。俺の代はかなりの数行ってた。

 浅海業は最近増えたな。サラリーマンやめて、あとはほら、船やめてから組合員になっとか。遠洋漁業者同士の会はない。今の若い人はみんな貨物船さ。タンカー船とか貨物船とか、日本の中を行き来している。けっこう若い人たちが行っているよ。20代30代は何人も残ってないね。

 

 

昔は家にいなかったから、今は孫に尽くしてる

 漁に出ている間、かあちゃんは留守番と子育て。1年間ほとんどいないね。40年くらいまではほとんどいねえと同じだな。根室で3月までいっから。若いときはマグロ、サンマ、北洋船の3種類乗って。40歳からは北洋船一本。北洋っていったって3ヶ月だけだ。4月から北洋でしょ、次がサンマ、マグロで1年だっぺ。マグロから北洋さいくとき4日だ5日だ家にいないときもあったよ。帰ってすぐに行ったときもある。子供への愛情はなかったな。だから今孫に尽くしてん。地震後、うちの下にいた孫が盛岡に転出したからこっちから行く。孫は2人。男の子。どっちも野球部入ってっから忙しい。見に行くよ。県大会とかしょっちゅうある。大きいのは高校2年生。今中学校1年生も盛岡で野球やってからぜんぜん来ない。こっちが行く。盛岡までは遠野通って2時間かかる。トラックは買ってもらって。乗用車は秋田からもらってきた。

 帰ってきて一番先にやらされた役が、ワカメ養殖の書記。書けねえの。辞書とにらめっこで。カタカナで難しいから漢字入れて。ああ緊張した。そのあとなんでもやった。会計からなんでも。祭りの役員や。

 

かか(妻)とやる養殖

 昔はね、私のうちでは養殖でつくっていたのはワカメ、ホタテ、あとはホヤ。赤くて丸いボコボコのやつ。

 ワカメは200メーターのきだ(ロープ)8本持っていた。種はメカブをどろどろにした中に「のり」という網を入れて菌を刺さらせてつくったの。それが細い綱なんだよね。それを1本ずつとって、径が24ミリから25ミリのロープに巻くのよ。種をまくわけだ。それを海に入れて40日間養成させて、あげて雑草をきれいに掃除して、また養成させて。それを船に乗って鎌で刈っていくのさ。稲刈りするみたいに。稲刈る鎌で刈るんだもん。ワカメは3月の早い人は15日から、4月の中ころまで。1ヶ月が勝負だよ。種をまくのは10月末から11月。人によって。能力のある人だと1千万円取る人だっている。水揚げする人は必要だから人件費は高い。女の人が手伝ったり。ワカメ割くところは、手だから人件費かかんのよ。俺はかかと2人だから食べてからあね。

 俺は3時半に出て採りにいく。場所は勘でだいたい分かる。漁師の勘はすごいんだ。目印もつけておくし。俺とうちのかあちゃんと、あと手伝いの人3人で。今はかあちゃんが身体を悪くしてしまったから手伝いの人と。

 

ワカメとホタテ、ホヤの3つ、やってんだ

 今は人が少ないから、ワカメとホタテ、カキはみんなやるすて。

 ここのホタテは日本一高いんだよ。2年から3年かかって大きくなる。ここで種も養殖して採るんだ。始まりはなんていうかな、たまねぎの袋あるでしょ、あんな網にいれる。今ころ(7月初旬)から種入れんだよ。種は海さみんな泳いでんだよ。それが網さ付着して、だんだん親指大になってから採るんだよ。お盆過ぎから採れば親指大になってんだよ。それまた杯で測って入れる。それに30くらい入る。大きくなったら、今度は元気のいいのを12、3個ずつ入れる。小さくても水槽の中とび歩くんだよ。今度大きくなったら耳釣りする。ホタテの角ばってる部分に穴あける。そこにテグス通してぶら下げんの。2つに分けて吊るすんだよ。手間かかんだ。ぶら下げているうちに大きくなる。深さによって違うけど、浅いところで80個、深いところでは110個ぶら下げんの。

 ホヤはね4月の末から、今の時期が一番盛んなんです。ここのホヤは韓国にやる。刺身からキムチ漬けから、日本より消費量多い。それ専用のトラックが来て車で積んでいって、船でそのまま行く。だから1週間に1回水揚げする。日本では4年もののホヤ食べんの。韓国は3年もの。実がきれいだしね。ホヤは3年が一番おいしい。手入れしながら3年間育てる。畑と同じでさ、たまにあげて雑草取ったりさ。やっぱり綱に絡むから。海のパイナップルってよく言うでしょ。10センチくらいのやつがバナナみたいにいっぱいくっついてくの。10個の房がいっぱいくっついて、一本の綱で最高220キロくらいになったの。俺は150メーターのきだを2本持ってた。150メーターのきだに綱にいっぱいつけて、それを海に吊り下げて。五代(いつしろ)くらいはただロープをたらす。一代(ひとしろ)1メートル半だ。浅いと日光があたって雑草がついてしまうから。その下から種つけるの。1本のロープに110本くらい綱つけて、綱1本には12、3個種つける。人によって差があるけど。養殖は岸壁のすぐそこ。沖の岸壁のそば。3年間吊るせば大きくなる。だいたい10トンくらいあげる。最高あげたときは21トンあげた。

 

どっちにしろやめようと思っていたんだ

 ワカメの養殖は今年の4月でやめた。津波が来なくてもやめる気だったの。年だもん。船員さんには特殊な保険があんだよ、マグロ船でもなんでも。それが特殊なのあるために、かかと2人なら食べんね。今でも2人で暮らしていくには十分。

 ここも今年やるって言ってる人が1人2人いる。この湾で養殖やってる人30人くらいか。ホヤも30人くらい。ホタテは20人くらいだ。いろんな種類やってる。30人いても、1人で3つも4つもやってる人多いから、養殖やってる人はそんなに多くない。海に出る人、アワビ採る人。浅海業漁師が180人くらいいる。アワビとウニ採る人は100人。

 今は岸壁で釣りして。あとは山さ行って。歩く。山さいくと足が強くなる。土ふむからいい。でも、これから退屈で何して1日暮らすかって心配だ。さあ、これから何して暮らすか。

 

【プロフィール】

話し手:笹谷健悦さん

昭和15年(1940年)吉里吉里生まれ。小学校卒業と同時に親戚のもとで漁を始め、中学卒業後は近海、遠洋漁業に従事する。52歳から養殖に転換。現在は吉里吉里中学校の仮設住宅に奥さん、娘と3人住まい。

聞き手:森山紗也子

特定非営利活動法人共存の森ネットワーク 事務局

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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