東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

暮らしを語り、想いをつなぐ。

お問い合わせ

ここ、石巻のスポークスマンとして

033-top
  • 話し手: 須能邦雄さん
  • 聞き手: 森山紗也子
  • 聞いた日: 2011年8月26日
  • 032/101

水産の道で活躍したい

 私は茨城県の水戸市出身の須能邦雄(すのうくにお)です。生まれは昭和18年6月12日で今68歳です。

 父が師範学校の先生をやっており、兄弟や身内にも先生になってる人が多く、私自身は子供のころから先生になりたいなあって当たり前に思っていたんです。子ども好きだし、教えることも好きなんで、先生には向いていると思っていたんですけど、一番上の兄が教職員組合の役員をやってて、教員内のいざこざを見てて、私が純粋なだけに、そういう世界には入るなと。それで先生じゃない社会に進めと言っていたわけ。私は勉強より人間関係が好きで。そういうときに、たまたま友達のお兄さんが日本水産で南氷洋に捕鯨に行ってきた話を聞いてね、初めて水産っていう世界を身近に感じたわけ。そのころのニュースといえば、テレビがない時代ですから毎週映画館でニュースをやるわけね。そのときに、日本とソ連の日ソ漁業交渉って政府間交渉が100日続くんだけども、そのときの様子を見ていて、そこに漁業者の代表も行きますよと聞いて、勉強好きでなくても、そういう格好いい場所に参加できるんじゃないかと思ったの。それと、水産に行けば、世界を回ってこれるだろうと。そういったことから、水産の道に関心を示し、結果的に東京水産大学、今の東京海洋大学に進学したの。

 そういうような感じで水産の世界に入り、高校のとき始めた相撲を大学でもしていたの。そこで、大学のOB会があって、そこに大手の水産会社の役員さんがいて、学生のころからOBの人と親しくしていたから、会社が別でもね、わりかし新入社員の時から気軽にそういう自分の会社の役員とも他社の役員とも気軽にしゃべれていたわけです。

 会社に入り、語学を覚えるためには駐在したいと思ってNHKのラジオの英会話とか、会社でお金出してくれる英会話なんかにも行ってたのね。たまたまそのときに、200海里っていう、世界が海を分割するような話になっていて、そういう状況の中でね、水産の現場からも、シアトルの駐在を出すっていう話になったわけ。シアトルでは、会社の上司とも会うけれども、政府の人たちとか、業界の人たちが来るときのお世話役もしたの。だから、アメリカの漁業者の人とも親しくなった。いい意味の仕事を2年間してきたわけ。そのときに私はお世話役だから皆さんと対等に付き合ってきた。それがこの石巻に帰ってきてからいろいろな会議にも出ることになって、そういう人と自由にできるのが、ずうっと仕事につながってきている。

 最初漁船に乗り、その後アメリカの駐在に行って、また帰ってきて北洋母船式サケマス漁業の船団長をやった。北洋船団がアメリカとソ連の200海里内で操業が認められなくなってしまったんで、終わってしまった。それで志願してサハリンってところの会社の副社長として3年間駐在したわけ。そして日本に帰ってきたら日本の大洋漁業というのは貿易や食品加工の会社になっていて、私の経験が生かせる場所はなくなってた。そしたら、たまたま石巻の魚市場の社長がふるさとに帰ってきていて、一緒に手伝ってくれないかって言ってきた。私はちょうど50歳のときだったので、マルハをやめて石巻に来たわけ。

 

下関に集まって

 もともと私は大洋漁業に入って、3,000トンのトロール船(大型底引網船)というスケソウダラを獲る船に8ヶ月間乗船して操業していたの。ところが私自身はもともとサケマスの母船に行きたかった。そうしたら、人事部長が自分が北洋希望だっていうことを知っていて、トロール船から応援が必要だっていうときに、連絡をくれて、それでサケマスに来た。

 5年間調査船に乗って、魚を獲る現場を踏みながら、その間に大型船の手伝いもして、いろいろ経験も積んだ。サケマスは5月の半ばから7月の半ばまでで終わりだから、それ以外は準備期間。あとけっこう社内に居るもんだから、会議とかにも行くわけよ。そういう中で人との付き合いを得た。

 

北洋漁業

 大洋漁業が1万トンの母船を持っていて、地方の船主さんが独航船っていう漁獲する船をもっていくわけ。母船って言うのは漁獲物を水揚げ加工する工場で、荷物を積む仲積船と燃料を持ってくるタンカー船で編成されている。昔は鯨なんかの油をこのタンカーが持ち帰るわけ。鯨については日本は肉も食べるけれども、外国は油をとることが目的だった。わたしらのサケマスは魚を獲って、これで缶詰作っていた。その缶詰はイギリスだとかに輸出して、魚の身は冷凍したり、塩鮭にして持ってくるわけ。

 独航船は1船団に43隻いる。その中に4隻、調査をしながら獲る調査船がいるの。残りの39隻は毎日朝帰ってきて、獲った魚を母船にあげて、また走っていって、夕方網いれて、朝揚げて、獲ったら母船に持ち帰る。調査船っていうのは2週間くらいあちこちへ行って、その日の漁場を決めるため獲れる場所を調べるの。私は5年間独航船の人だったから、私が母船に勤務が移ったときは、仲間が母船に行ったようなもんで、船団長になったときは、みんなが応援してくれたの。

 



■ 宮城県石巻市

宮城県石巻
「聞き書き」とは 詳細はこちら 一覧はこちら