東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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ここ、石巻のスポークスマンとして

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  • 話し手: 須能邦雄さん
  • 聞き手: 森山紗也子
  • 聞いた日: 2011年8月26日
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スポークスマンとしての宿命

 石巻に来たときは、日本の漁業は地方の時代だと思った。もう東京でやる事業ではない。ちょうど石巻は東京との日帰りもできるし、いろいろな面で地方から中央にものが発信できる。それで、自分が体験してきた魚を獲ったり、アメリカやロシアの駐在だとかいう経験が地方の漁業を通して貢献できるだろう、ということで石巻の市場に来て何年か常務、専務を経てから10年前に社長になって、今に至るわけ。

 それで、たまたま今回の震災に遭ったんだけれど。宿命を感じるのは200海里で日本がアメリカから追い出されるときに私はシアトルに、それから北洋漁業終わるときも私が最後の船団長でマスコミの中心にいたわけ。それで日本は地方の時代といわれる時代に石巻に来て、石巻が今後どういうふうに地方の発展があるべきかっていうようなことのスポークスマンの役割を担ったと。そんで今回の大震災で三陸がどう復活するのか、それに対するマスコミへのスポークスマン役をやるべくして生きていたというふうに思えたわけ。

 

市民も加わった水産復興会議を

 ただ、あまりにも被害が大きすぎて、記憶が喪失するような気がする。私は家もあって車もあって、家族も心配なくて。会社はなくなったけれども、他の経営トップは身内の問題もあるわけでしょ。それに忙殺されたら思考能力が止まってしまって、仕事のことなんて考えられないだろうなと思って。でも、国は金は出すけれども、最終的には当事者にどうしてほしいんですかと聞いてくる。我々はどうしてほしいんだなんて考えられない。そういうのをNHKの深夜放送で聞いていて、私自身は冷静な立場にいるんだから、論点整理をする立場にいるなと。そのためには記憶をしっかりしないといけないなと思って、3月11日の朝からの行動を丹念に記録に取るようにしたの。どういう問題がある、そしてどうするべきか。というようなことで、自分でいろいろと計画して、3月24日に市役所で共同記者会見を企画して、「石巻は水産を復興します」という復活宣言を力強く、全マスコミを呼んでやったわけ。それで3月30日に、業界のみんなに、口コミで声かけて第1回の水産復興会議を立ち上げたの。会社の経営上の諸問題は阪神大震災で同じことやってんだから、神戸市の商工会議所のものを調べてもらって、それを経営者のみんなに勧めると。それから私のほうは、早く魚を水揚げして復興するためには、どういうような問題があるのか、水揚げの問題、それから出荷するための問題、そういうもの全部整理してみんなに投げかけて、そういうものを定期的に検討して進めましょうということで、水産復興会議を行っている。これを社長クラスだけではなく、一般市民にも伝えないといけないから、マスコミにもオープンにして、必ず会議の最後には次回はいつどこでやりますよと伝える。

 

市場としての役割

 市場の仕事というのは、全国で獲ってきた魚を市場に上げて、ばらばらにあるものを商品化するようにサイズや品質別に分けたりして、それを荷主の代理として売ってあげて、それを買った人は持って帰って箱詰めしたり、自分の工場で使ったり、いろいろするわけ。漁師が持ってきたものを品質で一級品だ二級品だって決めるのは市場の責任においてやるわけ。トラック単位で5トンとか10トンとか売る場合もある。その間に品質に文句があがった場合は立ち会ってそれが納得する値段に船側と調整することもするの。船で持ってくるものもあれば他の港であげたものをトラックで運んでくるものもある。昔はスケソウは輸入品で商社経由で買うから仲介もしたけれど、海外相手でかなりリスキーだから今はしていない。「金華シリーズ」(金崋山沖で獲れる魚介類のブランド)を考えたりするのは私。私は業界を盛り上げるのが仕事だから、石巻市の水産振興協議会の副会長や水産復興会の副代表もしつつ、そういうこともプロモートする。そういうマスコミに対する仕事だったりとか、船に乗ってる人たちと一緒にブランド委員会をつくって、無償で食べさせるキャンペーンを開いたりもする。

 

第二の人生を石巻に捧げる

 私は石巻に来たときからココで第二の人生をという覚悟で来ているから、そのためには水産をみんなに理解してもらい、みんなに味方になってもらいたい。そのためには町の仲間と自分から仲間にならなければならない。だから私は様々な委員に、頼まれればなって、そして水産のことを少しでも分かってもらって協力してもらうようにしている。学校で親子の調理教室をやるならば、石巻市場は食品を無償で提供するし、私も講師をしに行くし、魚の勉強もさせる。というふうに出前授業もやって、少しでも理解してもらう機会をつくるのが、私の仕事だと思っているから。だから、「なんて出しゃばりで何でもかんでもするんだろう」って見られるけど。結局、一般の人は自分の領域のことだけしっかりやればいいと思っている。実際には周りの人の協力がなければ、仲間内だけでやったって波及効果ないわけ。と私はそう信じているから、人になんていわれようと寝る以外はそれをやる。

 根底では農、林、水産、畜産業という一次産業は自然産業なんだと思っている。自然を相手に自然の素材を生かす作業だから。他のもののように経済至上主義にはあわないと。なぜならば自然産業は日本の自然を再生したり、国土保全をしている産業。そういう付加価値を持つので、単なる利益追求型ではなくて、自然の浄化や、保全という価値観を認めなければ成り立たない。日本の中心市街地でない、北海道から九州までの僻地を維持するためには農業とか水産とか林業とか畜産しかないんだから。我々は地域の人たちとコミュニティを維持して、共通の喜びがあるからやってんだから。そういうのを維持するために、私は自然産業の大事さを水産を手立てに皆さんに分かってもらおうとしている。魚を食べてもらうことは身体にいいことであり、それが国の産業の育成につながるんだよって。

 だから「同情と食物(しょくもつ)選ぶ別心」って句をつくった。要するに、同情する気持ちはみんなあるわね。ところが、福島のものは買わないっていう。簡単に同情するけど、ほんとに同情したら行動に現せばいろいろ買わねば。だからそれは別心だよって。それから、「感情と理性は別と恨まない」。あの人私たちに支援するといいながら買ってくれないじゃない。そういうことに腹立てててはつまらんから。そういうものは恨んでしまうと心が荒ぶでしょ。こっちの人はすごく我慢強いよ。

 

相撲甚句に想いをこめて

 私は学生時代から相撲やっていて、相撲甚句を歌うわけね。前は決まっていたものを歌っていたんだけれども、ある段階から作詞して歌うようになったわけ。表彰を受けた人に祝いで作って歌ってやったり。その場にあったもの作って歌う。水産会社の関係で県内だったら、各市場の特徴を入れるとか、水産全体だったならば、1月から12月までの魚を入れて歌うとか。福祉のとこ行っても、福祉の連中にも魚の話を含めながらやる。そういう風に、福祉と魚が縁がないのではなくて、少しでも魚の話とか魚の感じを話してみると初めて魚について分かるわけよ。そうすると、初めて魚の話に広がりができるでしょ。そういったことをするのが身にしみついている。

 今回は「がんばろう石巻」という歌を4月13日に作ったの。3.11の教訓と、震災で亡くなった人の想いを受けて、新たな社会を再構築しようって内容で、「心を一つに結集し、復興目指して進みます」って歌った。

 



■ 宮城県石巻市

宮城県石巻
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