東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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海からの再生

吉里吉里に住み続けること

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  • 話し手: 村中トセ子さん
  • 聞き手: 三原岳
  • 聞いた日: 2011年7月30日
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自己紹介?吉里吉里に住んで36年?

 名前は村中トセ子(むらなかとせこ)。昭和18年8月14日生まれで、今は67歳。岩手県山田町大浦地区で生まれ、吉里吉里には31歳で来ました。被災前の住所は大槌町吉里吉里1丁目。実家はカキやホタテの養殖業。主人は遠洋マグロ船さ乗ってた。神奈川県の三崎を基地にして、外国さ行って。行って来れば1年とか普通で、子どもと2人だけの生活でした。1人息子には「どんな大学でもいいから4年終われ」って望みだったもの。よくぐれないで大学終わって。就職の最初に自衛隊の航空に入って。でも辞めて、今度は東京出たんですよ。警察官やってます。「将来的には帰って来る」って言ってる。

 被災前は主人と2人暮らし。あんな地震なんだど、家が壊れなかったもんね。その代わり、津波にやられたの、全部な。うちの主人、心臓が悪くて。このままじゃ体調崩してしまうし、病院もお医者もいない。だから在宅の形を取ったんです。今は4丁目のうちの主人の弟の所にお世話になってるんです。ずっと在宅しただけでも気分転換にならないし、人に会わないと色んなことが分かんないから、昼はここ(避難所)で過ごして。だって4丁目は高い所なんで人通りがないんですよ。どうしても私はこっちさ来たいんですよ、ここに来れば、みんな同じ被災した人ばかりで気持ちが一緒だから。ここさ来た方が心が休まるしね。8月10日から仮設住宅に移ります。

 

津波当日の様子―被災後はテレビを観なくなった

 地震が起きた時、主人はコタツでゴロゴロってね、主人2階でテレビ観てたのね。1回立てないような大きな地震があったんです。収まるまで長かったんです。目が回って。2階からね、降りてこれなかったって。「静かに、静かに、静かに、静かに、何か掴まってこい」、そんな感じ。すごい長いんだもん、地震が。玄関の戸が勝手にひとりでバタンバタンって。普通はあんなことないんですよ。家は壊れなかったもんだ。それは不思議だった。

 もう落ち着いて一旦外さ出たんですよ。それで、近所の人に「(津波は)どうなんですか?」って聞いたの。「6メーターだってよ」って言うから。それだけども、次の揺れが強いからと思って一旦家さ入って、もう逃げる支度して逃げました。常に家の関係の書類とか大事なものをバッグさ入れてるんですよ。あと寒いから、玄関から着る物を着て。マフラーを1枚持てばいいのに2枚も持ったりして慌ててね。位牌なんかもね、持っていくのに辛かったんですよ、位牌も仏壇も倒れたからね。でも、「せめて位牌ぐらいは持ってこなきゃな」と探したから。それもバッグさ入れて持ってきた。

 主人の薬を持って、その時は歩いて逃げました。車買って2カ月経ってないですよ。車で逃げようかなと思ったけどね、車の置ぐっている場所がね、ちょっと道が細いんでグルグルやらねば出られないような可能性があるんですよ。車は危ないわけですよ。(避難は津波を)見ながらね、見ながらね。4丁目って高い所です。ちょっと坂道さ入った途端、煙みたいなのが来たんですよ。「火事がどこかで起きたんだ」って思ったんの。それは火事でなくて、津波の埃だったんだね。びっくりして。がれきが流れになったのが、山で2つ動いてるんですよ。波じゃなくてがれきが。「あ、これが津波なんだな」と。それで親戚の家さ入って。上から見たら流されてどこもないんです。

 今はね、テレビ観たくないですよ。前は韓国ドラマ好きで遅くまで観る方だったんですよ。歌謡曲も好きなんだけど、聴きたくもない。1カ月くらい前まで、テレビのアナウンサーが綺麗な恰好で出て、「何でこの人達はこんな恰好してくるんだべな」と思ったの。「何でこっちはこんな大変な思いしてるのに、何でこの人さこんなハイカラさで出てくるだべ」って、ふいに思った時があるの。もう気持ちがどうかなってるんだわね。遅くても8時半には寝ます。寝てた方がかえっていいわ、忘れられて。仮設入居してる人達も「観たくない」って言ってたもんね。どこかやっぱり気持ちがスッキリしないんじゃないですか。色んな大事なものが流されてる人達もあっから。おまけに人も犠牲になってっからね。気持ちが複雑じゃないですか。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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