東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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海からの再生

吉里吉里に住み続けること

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  • 話し手: 村中トセ子さん
  • 聞き手: 三原岳
  • 聞いた日: 2011年7月30日
  • 037/101
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元の場所で住みたい―震災前の生活を取り戻すには

 吉里吉里、お祭り好きな所。芸達者だわ、みんな。お祭り好きだで。海が近いから、少しでもいっぱい取ってくれば、お互いにお裾分けしてね。活きのいいのばっかし。魚も息したパタパタしたようなのとかね。町は付き合いがとっても良くて、「あぁ、いいな」と思ってた矢先にこういうことが起きてしまって、今はてんでんばらばらなんですよ。お祭りも今年はないこったけどね。神社も少しやられてるもんね。そんな気分になれたもんでないね。それを「元に戻したい」と私は思ってるんですよ。この地域はとってもいいから、本当にまとまってもう1回取り戻したい。もし良ければ、私はあそこに再建します。今まで建ってた家はとってもいいんですよ。息子も「やっぱり、ここがいい」って言って将来的には来るから。家は海から300メートルぐらい。あそこさ行くと疲れて来るの、津波にさらわれた頃はね。歩かれねぇんだもの、がれきがいっぱいで。気持ち悪くてね。だけど今は疲れないもんね。もう慣れてね。あそこいると、とても気持ちがいいの。家はなくても、家の傍さ行けばしばらく座って来るの。「ここが茶の間で」「ここが風呂場で」とかって考えてくるわけ。家がなくても落ち着いて来るの。不思議だね。「この土地が一番良かったかなぁ」とか、「家の周りの人もいがったから、いがったなぁ」「早くここさ戻りたいなぁ」とか。みんなそんな気持ちはあると思うんですよ。近所付き合いもとっても良くてね、喧嘩事とか気まずい思いとか、そんなの1つもないんです。どうしてもあそこさ戻りたいがね。「また津波が来っこたろうな」と思いながらも戻りたいわね。釜石行った人は「戻って来る」って。「やっぱり良かったがな、あの頃が」って、こういうのがハリになって。こんな考えると、今度はイライラが来たり。悔しさだね。「津波が来ねぇばなぁ、今頃はこういう生活しとったのにな」とか。

 津波の頃はね、着の身着のままでいたの、裸一貫だからね。「何でもいい」って思ってたの。今は義援金、支援金って出てるじゃないですか。こんな暑いば全然着るものが変わって来るから。でも、なんぼ義援金貰ったとか、支援金を貰ったってね、やっぱり我が家があったほうがいいですよ。やっぱり自分の力でやっていかなきゃ。

 若い人が出て行くと大変? それ、それ、それ、それ、それが一番ね。残る人達は年取った人達が多いもんね。こんな場合、若い人達に頑張って貰わねば困るもんね。年取った人にアドバイス貰って若者が動けば、どうにかこうにか行けるんじゃないかな。だから早く仮設でも何でもスピード感で動いて貰って。私はそれ毎日独り言で言ってる。この辺は海から物揚げないと生活が大変と思いますよ。実際、海にがれきとかあるから、どんなものが沈んでっか。船のことをやるったって、漁師の道具って高いんですよ。「それ欲しい」ったって、簡単に手に入りゃせんのわ。時間掛かるんじゃないですか。そんなの考えたもんだかね、いつ復興になるんだかがね、ちょっと暗いがねぇ。でも、漁師は張り切ってる。そんな人達さ見れば「あぁ良かったなと」思うがね。それしかないもんね。もう大変な試練だもの。必ず復興になると思うけども、何年掛かるか。だから動かなきゃだめなんですよね。津波でいつもおっかねぇ目に遭うわけでもないから。私は漁師の子で生まれて来たもんだからね。やっぱり漁師は海から物揚げないと。そうなれば主婦の人たちも稼ぐところが出て来るから。やっぱり海で生計立てていかないっちゃ。海の水が染みついてるんだもの。野菜も魚も三陸物がさ、東京を支えてるじゃないですか。こっちも三陸のためだけでなく、そういう意気込みで考えていかなきゃ。

 

【プロフィール】

話し手:村中トセ子さん

主婦。1人息子は東京で働いており、現在は遠洋マグロ漁船に乗っていた夫と2人暮らし。31歳の時の結婚を契機に、養殖業を営む岩手県山田町大浦地区の実家から吉里吉里に住み始めた。

聞き手:三原岳

公益財団法人 東京財団 研究員兼政策プロデューサー

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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