東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

暮らしを語り、想いをつなぐ。

お問い合わせ

手を合わせて感謝してる

039-top
  • 話し手: 芳賀キエさん
  • 聞き手: 若尾健太郎
  • 聞いた日: 2011年9月24日
  • 038/101
ページ:3

お父さんが私たちに残してくれたもの

 お父さんは、最高にいい人だったからね。養殖してもホタテでも何でも、「ほりゃ持ってって食べろ食べろ」って言う人だったの。「みんなの面倒見る見る」って頑張ってね。お父さんは長男でなかったけれど、家族のために働き続けた人だったの。今までの生活で家を出て、私たちだけで生活しようかって話になったこともあったけど、お父さんの母親や兄さん夫婦や姉たちを置いて出て行けなかったのね。僕が見ねぇばダメだって。だからね、今回も避難してきたおばちゃんと一緒に流れて。だから、私たちが周りの人の世話になってね、ありがたく思ってんの。「これ、父さんがやったことなんだよ」って、子どもらさ言って聞かせてんのね。「父さんがしてだったことが、私に返ってきたんだよ」って。

 

これからどこに住むか

 今までの生活が贅沢すぎたのかなって言って。何でもありすぎて、生活も安定してたしね。それをいきなり津波でみんな持っていかれた。

 だけど、避難所では、みんないい人。吉里吉里の人はいい人たちだからね。みんな声かけてくれっから。そして、避難所では、仕切りもしないで3か月も4か月も、みんなの顔見ているんだもんね。それで、知らない人でもお友達になったりして。仕切りもなく、みんながいい人で生活してきたからね。

 ただ、最後まで仮設に決まんないのが、辛かったね。仏さんも、避難所さ持ってきて置いたの。だから、できれば早めに仮設に入りたい気持ちだったの。

 娘が、お家のこともあるし、これからのことを「どうしよう」って。いつまでも仮設っていっても大変だから。小さくてもいいから、みんな一緒に住むぐらいの自分のお家があればいいなと思うんだけどね。場所がまだ決まらない。元の土地に建ててダメって言われればダメだ。だから、役場の方でも代替地があればね、代わりの土地を作ってけんればいんだけどね。せめて私が、孫が6年生の時まで元気でいればいいんだけど。そのうち動けなくなったら大変だもん。

 だからもし、できんでば、娘たちさ頑張って、小さくてもいいからお家が欲しいがねって言ってるの。それが一番いいんでねぇかって言ってんだけどね。

 

【プロフィール】

話し手:芳賀キエさん

岩手県下閉伊郡山田町生まれ。実家は農業だったが、大槌町吉里吉里に嫁ぎ、水産加工などの仕事をしつつ大家族を支え、後に養殖漁業を旦那さんと営まれてきた。

聞き手:若尾健太郎

特定非営利活動法人共存の森ネットワーク 事務局

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
「聞き書き」とは 詳細はこちら 一覧はこちら