東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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戻ってきた故郷、志津川

これからが一番いいのね、志津川は、夏が

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  • 話し手: 山形利郎さん
  • 聞き手: 代田七瀬
  • 聞いた日: 2011年7月24日
  • 040/101
ページ:3

見ればわかる ―仮設住宅だって、場所によって造りも材料も全然違うよ―

 やっぱり、見ればわかるよ。こいつはなかなか動きがいいなとか。こいつはちょっと時間がかかりすぎるなとか。よく言われたのね。時間をかけて上手なのは、誰でもできる。早くやって上手なのがいいと。それからやっぱり、仕事は目で盗んで覚えろってことは言われたね。だって、教えてくれないから。俺も上の職人さのやることを見て、やっぱりそれで覚えてきたんだ。一切教えてくれないってことはないけど、細かくはね。でも、俺の親父は教えてくれなかったな。短気だしさ(笑)。

 体が動いていたら大工を続けてただろうな。手術をしていなければな。全然辞めたいとは思わなかった。怒られても別に、がんばんだ、今に見てろと思って。今でもやっぱり、建物建ててると気になるもん。いい材料使ってるなとかわかるよ。いい材料はね、目が通ってたり、狂いが来ないやつね。割れたりしないやつ。やっぱり日本の材料がいいな。今は外材多いからね。やっぱり、日本の風土に合ってるんじゃないかな、日本の材料が。秋田杉とか青ヒバ(青森県のヒバ)とかね。そういう材料で建てようとすると、高いよ。

 この震災復興で建ってる仮設住宅だって、場所によって造りも材料も違うでしょ。メーカーによって全然違うのよ。それこそ、本当のプレハブだなというのもいくらもあるでしょ。壁に外壁きちんと張ってる所も少ないと思うな。壁とか、天井とか、本当に違うね。気仙沼あたりもね、仮設が雨漏りする所も出てるのね。

 

チリ津波の時 ―2回流されたんだ、うちは―

 チリ津波(昭和35年)の時は小学校5年生だったかな。その時も、うちの床屋が流されたから、親父に建ててもらったの。そこで、おふくろはまた床屋をしてたんだ。それが、今回の3月の津波で家も店も流されたから、2回目流されたんだ、うちは。

 チリ津波も見てたんだもの。覚えてる。全部、海の底が見えたんだ。海が引いてね。そうすると、魚が浮くんでさ、それを獲りに行った人が逃げ遅れて死んだのよ。一気に津波が来たから。この前の3月の津波みたいな高さじゃなかったけどさ、家も将棋倒しみたいに倒れていったんだもん。その時俺はね、元の志津川高校があった所にいたの。だから、すぐに逃げられたのね。津波って人生の中で来たことがなくて、これが初めてだから、ぜんぜんわかんなかったよ。

 

志津川というところ ―これからが一番いいのね、志津川は、夏が―

 志津川はね、開拓して入った人多いから、山の暮らしもあったの。海だけじゃなくて、すぐ山だしね。小中学校の頃は、山で結構遊んでたんだ。昔はご飯なんか竈で炊いたでしょ。それで、すぎっぱっていって、杉の葉を採りに行ったの、山に。山で栗拾ったりもしたね。学校から帰る途中で、誰かの畑のきゅうりを勝手に食べたりもして。海でも遊んだな。海水浴は毎日行った。荒島(あれしま)があるところの袖浜海岸とか、俺らの小さい頃は、八幡川でも泳いだんだよ。川幅もちょうどいいくらいでしょ。釣りもやったね。水門がある前がうちの家で、目の前が川だったから。ハゼやカレイも釣れたんだよ。ほら、塩水と真水の合流地点だから。家の2階から竿を流せたんだよ(笑)。

 花火もあったしね。7月の最後なんだな。けっこう観光客が来たね。うちの前、車いっぱい止まったのね。仙台からさ、仕事終わって帰ったんだけど、観光客が多くて家に帰れなかったことがあったのよ。志津川は観光地がたくさんあるんだけどね。夏なんかはね、結構海水浴なんかに来てるのね。釣りとかできたし、釣り堀もあったしね。鯛とか釣れたんだよ。でも、今は全部やられてしまったからね。みんな、観光ができる時に来てくれてたらよかったなと思うけどね、しょうがないよな。本当はね、これからが一番いいのね、志津川は、夏が。

 

【プロフィール】

話し手:山形利郎さん

志津川で生まれ、東京、仙台、志津川で大工として働いてきた。5年前に胃の手術をしてからは電話線工事の仕事に変わり、現在も震災で被害を受けた気仙沼や石巻でお仕事をされている。

聞き手:代田七瀬

慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス研究所上席所員(訪問)

 



■ 宮城県南三陸町志津川

宮城県南三陸町
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