東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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普通がいちばん幸せ

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  • 話し手: 近藤絹子さん
  • 聞き手: 冨永朋義
  • 聞いた日: 2011年7月30日
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普通の主婦ですね

 近藤絹子(こんどうきぬこ)です。昭和23年8月24日、大槌町生まれ。62歳です。大槌中学校を出て釜石商業を卒業した後、大槌にある米組合の事務所に5年ぐらい勤めました。吉里吉里生まれの主人と結婚して、転勤で山田町に1年、盛岡市に3年、久慈市に6年。そして主人の勤務先が釜石営業所に変わったとき、吉里吉里に戻ってきました。朝6時くらいにご飯食べて、主人を送り出して、子どもを出して。私はパートタイマーとして働いていた時期もありました。ほんとう、普通の主婦ですね。吉里吉里に住んで28年ぐらいかな。そのうち18年間は主人が単身赴任で、おばあちゃんと息子3人の5人暮らしでした。

 

建築規制で移住

 昔は、海岸近くに家がけっこうあったらしいです。津波に流されて上に上がったわけですけど、車のない時代だからどこでもよかったんですよ。だから、この吉里吉里には道路のない家がけっこうあるんです。でも、昔から住んできた家が傷んできて、さあ直すとなったときに、家の土地が幅4メーター以上の道路に接していないと建て直しができないとか、いろいろ絡んできて。結局、許可なんないから、新たな土地を求めたわけです。我が家もそうですけど。そこは高台と思ってましたけどね、流されてみればそんな高くないなと。昭和8年の津波はそこまで行ったって、今頃になって聞いたんだけどね。

 

近所づきあいの変化

 近所の付き合いはね、昔はもう密でした。私が住んでたところは、流された家ではなくその前のね、道路よりちょっと高いところにあって、私たちの家含めて3軒あったんです。どこの家にもおばあちゃんがいたんですけど、そのおばあちゃん同士の付き合い、お嫁さん同士の付き合い、さらに子どもたちが世代的に同じなんですね。同級生とか。

 この辺はね、鍵をかけて出るってことがなかったんですよ。昔の家は古くて、鍵をかけるような家でないっていうのが実際だけども、鍵をかけて出るっていう感覚がなくて。丸っこ1日空けることがあっても鍵かけないんです。で、「行ってもいい?」っていうオファーもないまんま、ダーッと入ってって座ってお茶飲むとか、そういうのが普通。そのとき、必ず漬物が出るんです。夏でしたら新漬けですよね。キュウリとキャベツを刻んで塩もみしたような浅漬けみたいなのが、お茶菓子とは別個に必ずありましたね、そして「じゃあ」って感じで。暇であれば、今度そっちの家に行くとか。

 津波に流されたほうはね、16軒ありましたけど、みんなお勤めしてるんで日中いないんです。訪ねていって目的の人がいなくても、おばあちゃんがいればおばあちゃんとしゃべって帰るっていう環境が今はないですものね。こっちは鍵かけますね、不思議なもので。ドアっていうのもありますね。前は引き戸だったんで。こっち来て、やっぱり出る時はカチャッとかけるような癖が自然とつきましたよね。なんかやっぱり暮らし方が違うんですね。新興住宅地ってそうじゃないですか、都会でも。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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