東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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  • 話し手: 平野サワさん
  • 聞き手: 鏑木洋子
  • 聞いた日: 2011年9月24日
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吉里吉里で80年

 平野(ひらの)サワです。生まれは昭和6年2月5日。80歳を過ぎたばかりです。生まれは吉里吉里です。旦那がね、2年前に亡くなって、それで一人暮らしをしてました。家族は3人で、吉里吉里に住んでいた長女と、仕事の関係で仙台に住んでいる長男と、東京にいる次男です。長女は震災に遭って、自分の娘が東京にいるので、そこに夫婦で行きました。

 

津波に遭って

 商店にガス代を払いに行っていた時、地震が来たんです。一人者だからみんなのいるとこにいた方が安心と思って、そこにいたらば、目の前に波が来たので「津波だ!」って言われて、吉里吉里小学校に逃げて上がったんです。

 うちは全部流されてしまいました。建ててから25年になっていました。海の近くだったけど、昭和8年の津波にもね、流れなかったんです。あんたのうちが流れるようでは、吉里吉里は全滅だよって言われていたので、ほんとにまさかね、こういう大きい津波が来ると思わなかったし、私は安心していだったんだけど。

 社協に勤めていた姪っ子が、上の役をしていたので、責任上、みんなを先に逃がして、自分は最後になって、そのまま流れてしまったんだ。私の姉の年寄り1人残して、子ども1人残して亡くなったんです。その姪っ子は、体調崩してもまずね、ご飯でも何でも運んで来たり、病院に連れて行ってもらっていたんです。それで老後はね、1人で暮らしていても、安心していだったんだけど、そのようになってしまって、は、ほんとに残念です。

 紫波(しわ)町の避難所に5ヶ月お世話になりました。そこに行けば病院も近くで都合がいいっていうのでね。8月10日に吉里吉里に帰って来たんです。紫波町は役場の皆さんも、地域の皆さんも、良くしてくれてね。食べ物とか服とか、寝るところから何からね。ほんとの温泉に1日交替で連れて行かれたの。生活会館っていう広いとこで、みんな一緒に寝たり起きたりしたんですけど、そこにいつまでもいられないからって、今度は紫波町のマンションに引っ越ししたんです。そこは、やっぱしこの位(仮設住宅)の部屋ね、1人ずつが部屋を持ったんです。ほんとに感謝感謝です。そして、役場の方が、ここまで送ってきてくれた。だから一生忘れられない。紫波町は第2のふるさとで、毎晩、ああ、紫波の人達は何してんだべなと思って考えてんの。少し元気なうちに、お礼に行きたいなと思っているの。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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