東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

暮らしを語り、想いをつなぐ。

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楽しく仲良く暮らしてきました

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  • 話し手: 平野サワさん
  • 聞き手: 鏑木洋子
  • 聞いた日: 2011年9月24日
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昔の娯楽、最近の娯楽

 昔のことだもの、遊びって別にね、あんまりありませんでした。吉里吉里に映画館が出た時、映画を見たくても、嫁ですから、見られなかったり。

 他は、養殖の仕事が一段落すれば、じゃ、家族やきょうだい、手伝ってもらった人たちを連れて、どこそれにか行こうかって。例えば、釜石の観音様とか、宮古の浄土ヶ浜。そういう暮らし。今は何でもね、好きなように、どこでも行けますけど。

 震災の前は、隣近所はみんな仲良くしてるから、お茶を飲みに行って、楽しく暮らしていたんです。朝ご飯を食べて、洗濯も終われば退屈だから、じゃお茶飲みに行こうかって行くんです。3人か4人で、互いのうちを行ったり来たり。お菓子でも何でも、珍しいのがあるから、これ食べてけろとかってね。で帰りは、持ってってって持たせられて帰って来るの。だから普段の生活は、まず楽しく暮らしてきたんです。

 お茶では、たまにお昼もご馳走になって。話は、どこで誰かが亡くなったとか、今日はこういうわけでこうしてお寺さんに行って来たとかって、まず、そういう話してね。だから、別に1人でもね、この2年、結構楽しく暮らしてました。私この通りね、ざっくばらんだから。仮設で、みんな違うところに離ればなれになったので、ああ会いたいって言ってるのね。それでたまに行って会ってます。

 私ほれ、年がいってるけどボケたくないから、吉祥寺(きっしょうじ)の御詠歌に入ってます。誰か亡くなった時、葬儀に行って唱えるんです。私1人だから、黙ってボケンといるより、今日は何時の葬儀ですよってあれば、じゃ顔洗って準備する気持ちがあればね。何もないば、顔も洗うこともないから。50人以上いたんだけど、今度の震災で十何人だか亡くなりましたよ。

 

仮設住宅での暮らし

 長女の姉から、娘が亡くなったために、自分と孫1人だから、私もそこで一緒に暮らすようにって言われたんだけど、なんぼきょうだいでも、よそのうちに仏さんを持って入られないから、仮設申し込んだの。

 ここは第6仮設団地といいますが、坂道は登りでしょ。でも私、お寺に勤めてるから、お寺の近いとこがいいと思って、ここの仮設を選んだの。役場の方にね、道路が大変ですよって言われたんだけど、自分で選んだから、仕方がない。道の端にガード付けて、上がったり下がったり、つかまって上がるように付けてもらいたいな。

 一人暮らしは、仮設ではまず1部屋。だども、寝る所とお茶っこ飲む所が一緒で、ちょっとあれだから、なんぼ一人暮らしでも、もう1つ部屋欲しいなと思っています。

 ここの仮設は眺めがいい。朝起きれば吉里吉里、海からどこも見えるから、窓開けて、こうして眺める。浪板の仮設は、ほんとにどこも見るとこもない、山ばり見てるってね。だから一人暮らしの人は孤独になるような感じだって言っています。

 毎朝ご飯食べて、長女の姉のうちに1回行くんです。30分ぐらいかかって行きます。今日こそ行かないかなと思ってるけど、なんだか今日は姉はどうしてんだべなと思ってね。

 仮設は2年って言われてます。だからそのうちに私も自分で生活ができなくなれば、なんぼなんでも長男の所に行かないばなんないなと思っています。長男も、仙台に家を買ったんです。そして私ほれ、まずうち建てたばりで、大きい所に1人いたんだけど、子どもたちが大きくなれば、やっぱし長男家族も帰って来ると思ってたんだけど、うちもなくなったから。

 

【プロフィール】

話し手:平野サワさん

生まれて以来80年間、ずっと吉里吉里に住んでいる。2年前に旦那さんが亡くなり、現在は一人暮らし。東京と仙台に住む子どもが3人いる。震災前は、隣近所と仲良く楽しく暮らしてきた。

聞き手:鏑木洋子

公益財団法人 東京財団 人材育成プログラム・オフィサー

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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