東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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  • 話し手: 芳賀光さん
  • 聞き手: 高附彩
  • 聞いた日: 2011年7月31日
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やんちゃな子供時代の延長

芳賀光(はがひかる)。昭和49年生まれで石材店を経営。奥さんと息子さんと暮らしている。小さい頃はガキ大将で、いじめっ子だった。ふざけていじめて、でもすぐ反省をしていた、わんぱくなやんちゃっ子。で、今もそれは全然変わらない。同級会でも結婚式でも年祝いでも2次会でも何でも、今でも皆を集める幹事役だったりする。

 親父は親分肌の一見やくざ風な人で、面倒見が良くてそれを見て育ってきた。人に対してああしろ、こうしろ、とか言うのは見たことがない。おばあさんが助産婦さんで、婦人会の会長までして忙しい人。両親が仕事で忙しかったのでおじいちゃんっ子。いつもおじいちゃんとおばあちゃんと一緒に居た。4人兄弟の1番下だけど、あまり親と過ごした記憶がない。人に悪いことはしない、という基本の部分は家族や地域全体に教えられたことだと思う。悪いことしてたけど(笑)。おじいちゃんの通帳から勝手に下ろして使ったり、それでコンポ買ったり。でもいいんです。おじいちゃん分かってたから(笑)。

 釜石でサラリーマンをやっていた、何の気なしに。専門学校に行っていたけれどバイトに明け暮れて、辞めて。石屋になろうと思ったのは、21歳の時に、親父が自分のお墓を作ろうと思って業者さんに頼んだら高くて、知り合いの造園屋さんに頼んで安く上げてもらった。その時に、石材屋っていうのは儲けすぎてんな、ぼったくってんだなと思って、そのきっかけで親父が、お客さんを紹介するから立てるか?と言ってきたので、こういう仕事もやりがいがあるなと思って石屋を立ち上げた。当初は仙台に営業に行ったりしていたけれど、お店を持って看板を抱えなきゃだめだよな、ということで。ただ、石屋の看板掲げても毎日人が来るわけじゃないから、じゃあ海の近くだし、ついでに釣りっこ屋をやってみようかということで、24歳の時に石材屋と釣具屋のお店を掲げました。

 

人との関わりかた、土地への想い

 山の子と浜の子の気性は違うというイメージがある。短気なのはあるけど、浜のほうは、とってもオープン。ボランティアの人たちも吉里吉里のファンになって帰る人が多い。ボランティアが家に泊まってご馳走になって良いんですか?って聞かれるんですよ。いや、全然いいですよ、って(笑)。なんだろう、皆、難しくしないからですかね。駆け引きをしない、面倒くさいことが好きじゃない。閉鎖的じゃないし、受け入れてくれる。初対面の人でも、何かこの人壁がある、っていう人がいるけど、そういうのではない。

 吉里吉里の人は土地柄なのか、皆そういう感じ。自分達にとってみたら声を掛け合って何かをするのは普通。最近色んな人たちが入ってきているのは事実だけど、誰構わず皆で協力し合っている。悪い話もあっても、それ以上にいい話がいっぱいある。普段から助け合うということがあったから、津波のときも協力できたんだと思う。

 

津波の時の行動

 中学校の野球コーチも7年ぐらいやっている。津波が来たときは、次の日が野球の合宿が始まる日だったので、グランド整備をしていたときに揺れが来た。学校が潰れるんじゃないかなというほどの揺れだったので、校庭に子供達を避難させて、ダンプで釣具屋に向かった。海がおかしかった。今まで見た感じじゃなかったし、ぜったい津波が来る、って思ったんで釣具屋をあきらめて、石屋の倉庫に行って、津波が来ると思うから逃げろって言って、モコっていう飼い犬を放して、倉庫を後にした。それから、奥さんが保育園で働いているから、奥さんと子供を迎えに保育園に行ったら、子供が朝からひどく泣いてしょうがなかったから、その日は保育園を早退して、もう家に帰ったって言われて、おかしいなと思ったら、実家のほうに帰ってたみたいで。奥さんは早く帰ったから子供を親に預けて自分は町役場に行こうとしていたら、子供が離れなかった。そしたら地震が来て避難したみたいで。

お墓のチェックに立ち寄ったお寺から津波を見た

 家族が保育園にいなかったから、自分は浪板に行って、帰ってきた。その時は津波っていっても50センチとか1メートルぐらいかと思ってたから、職業柄お墓のあるお寺に帰ってきた。お客さんに聞かれる前にお墓のチェックをしようと思った。津波来るね、と言いながらここのお寺に上がってきたら、第1波が堤防越えて、第2波も来た。

 中学生も津波直後に、埋まっている人達を助けるのをすごく協力してくれた。目の前に瓦礫に挟まっている人がいて、余震が来ても子供達が、助けようと思って、声を掛け合って皆で手伝った。こういうことを経験した子達は、何でも出来ると思う。その後は、大人が瓦礫撤去しているときも子供達は水を汲みに行ったりとか、皆が必要なものを1箇所に持ち寄ったり、お米を提供したり、ここのお寺も避難所ではないけれど、和尚さんもお寺を避難所として開放して皆に全てを提供した。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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