東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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町の電気屋さん

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  • 話し手: 佐々木拓雄さん
  • 聞き手: 清水桜子
  • 聞いた日: 2011年9月23日
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家族背景

 佐々木拓雄(ささきたくお)と言います。生年月日は昭和22年11月11日で、来月で64歳。電気屋です。今は私たち夫婦と私の妹と仮設で暮らしています。妹は去年突然脳梗塞で倒れて以来、一緒に住んでるんです。もう1人の妹は釜石にいます。子ども達はここ生まれで、息子と娘がいます。娘は結婚して子供がいるんですけど、県内の水沢っていう所にいる。息子は嫁さんが東京なんで東京に居るんですけど、今は親が心配だということで一時的に帰ってきてる。でも、住むところないから、息子は今倉庫で寝てる。結局親を見ているからかね、息子は電気屋じゃないけど番組制作会社で働いてる。

 

地域の繋がり

 私も親戚もみんな元々ここ、吉里吉里です。ここはそういう人が多いです。吉里吉里は若い人は割と多いですよ。消防にしても若い人が多い。ほとんど消防団っていうのは、年いってる人が多いんですけど、ここはね、交代を早くしているために、消防団長が40代後半とかね。そういうのが、ここ吉里吉里は早いんです。

 ここは地域の繋がりは強いですね。みんなで海岸清掃、お寺の草取り、神社の草取りをする共同作業があるんです。でも、私は小さい頃から身体が弱かったので、そういうのには全然参加出来ない。地域の繋がりがあるのは良い面もあるけど。丈夫な人は住みやすい場所です。弱者には住みにくい。こういう非常時はまとまりが良いんだけど、逆の人が見ればやりづらいかもしれないって感じっていうのはあるんじゃないかな。

 

病と向き合って

 私は身体が弱かったから、遊んだって記憶があんまりないですね。小さい時からずっと弱いから、学校も3分の1ぐらいしか行かなかったし(笑)。ずっと心臓が弱かった。心臓の手術はこれまでに3回受けました。1回目は中学校1年生の時。その時が初めての手術。小学校の頃も、まぁずっと弱かったね。小学校の時も自宅で安静にしていることが多かったです。だから、中学校は記述検定で上がったんだね。たまに入院はしてたけど、自宅安静。中学校も高校もほとんど行けなかった。

 でも、私は割と楽天的だから、本読んだりして気を紛らわしてた。んじゃなきゃ、死んでたかもしれないね。だから、楽天的だからここまで来た感じ。私は体質的に、手術しても顔色悪くならない。自己治癒力が強いんだよ。手術して抗生物質もなし、ただ傷口を縫って治すだけ。飲む薬は一切なし、点滴なし。そういう体質だから持ったんでしょうね。

 2回目の手術は33歳の時で、3回目は平成5年だから46歳の時。合計3回の手術。あとは、もう手術出来ないですね。癒着がすごいから、縫えない。縫ってもくっつかないんです。今は毎朝心不全が収まるまでは午前中出れません。午前中は肺に溜まってるがために、薬を服用して5分おきにトイレ行って。毎朝それが大変ですね。

 

機械好きだった子供時代

 機械いじるのが、小っちゃい頃から好きだった。親父がたまたま東京行ったときに、秋葉原で機械系の本をお土産に買ってきてくれたのがきっかけかな。小学校の頃からステレオアンプとか、マイクとか、スピーカー作ったりしてました。作って人が喜ぶのが好きだった。子供の頃は漫画も読まなくて、電気の原理とか、そういう基本の勉強が好きだったから。全部独学でしたよ。

 

ササキデンキ

 30歳で電気屋を始めると決めてました。それまでの18歳から30歳までは、釜石の無線屋さんで働いていた。レーダーとかのその修理を。機械をいじるのは好きだし、趣味だからね。仕事は見て覚えた。勤めてたとこの人がやってるのを見たり、あとは会社の研修会、講習会に行ったり。神戸に行ってメーカーさんの研修会を受けたりして、仕事を覚えました。それで、30歳の時に自宅で電気屋さんを始めました。仕事内容は主に修理ですね。あと学校行事も多かったです。文化祭のスピーカーとかの音響とか。ブライダルのビデオ撮影もやりました。電気屋さんは電気屋さんなんだけど、技術スタッフの裏方みたいなことをやってたんです。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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