東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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思い出も流されたけど…やっぱり海

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  • 話し手: 田中和成さん
  • 聞き手: 簑原茜
  • 聞いた日: 2011年7月31日
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先祖代々、吉里吉里人

 田中和成(たなかかずなり)です。先祖代々、ずっと吉里吉里ですね。吉里吉里保育園、吉里吉里小、吉里吉里中で、高校は釜石です。

 小さいころは、じいさんが養殖とかしてたんで、海の仕事とか手伝ったりしてました。この地域で最初に養殖した人じゃなかったかな。ホタテとかワカメとかホヤとか。県外に行って種もらってきたりしてました。父さんは船乗りです。貨物船とか。自分は船酔いするんで(笑)。

 去年結婚して、震災のときは大槌のアパートだったんですけど、全壊なので、今は吉里吉里の実家です。実家は両親と兄がいるんですが、自分は親戚も被災しなかったもんで、そっちで避難生活をしています。

 

やっぱり故郷がいい

 吉里吉里で育って、大学は横浜にある日体大に行きました。大学では800とか400とか、陸上をやってました。

 教員採用試験を受けようと思ってこっち帰ってきたんですけど、消防署職員も募集がかかって。体育大学出てたので、体動かすことがいいなと思って。

 横浜のほうで就職したいとは思わなかったですね。海とか、自然のほうがいいなと思って。大学のときも、休みのときとか結構こっちに来てましたよ。地元のほうがいいなと思って。思わないですか(笑)? こっちの人は、仙台とか東京に1回出て帰ってくるような感じです。

 1学年は56人で、こっちにいるのは何人くらいだろう・・・20人ぐらいじゃないですかね。みんな町外に出て行ってるから。吉里吉里にいるのは、同級生では何人もいないですね。

 

消防署員として

 25で採用になったから、今年で勤続10年です。やりがいはありますね。釜石と大槌が一緒の消防で、今は釜石なんですけど、大槌消防署には去年まで6年くらいいました。

 24時間泊まって、休んで、また24時間。署員は30人くらいですね。今は落ち着いて、もう捜索とかはしてないんで、救急と火災の普通業務です。津波のあとは6月ぐらいまで捜索とか、自衛隊の人と一緒に活動してましたけど、今は警察だけですね。

 

九死に一生

 地震が起こった日は、非番だったんです。アパートにいたんですけど消防署に行きました。停電して情報がない状況で、放送も停電しちゃったんで自主避難って感じでした。避難してくださいね、って広報の車両は回ってたんですけど、町内に高いところがなくて。でも堤防もあるし、まさか来ると思わなかったですね。5、6メーターあるのかな、堤防は。

 消防署は中心地にあったんで、津波のときは3階まで被りましたね、12、3メーター。川の水が溢れそうなときにちょうど上さ上がったんですけど、上がって同時でした。一緒に上るときに2人亡くなりました。間に合わなかったんです、屋上に上がるまでに。夜も雪降ってたし、一晩屋上で過ごして、次の朝になって水が引きました。次の日の午後かな、自衛隊のヘリで救助されて。もう死ぬと思いましたけどね。町内の社会福祉協議会で働いてる嫁の安否も分かりませんでした。携帯もつながらなくて、ヘリコプターで救助されて、そこで会ったんです。嫁も福祉の仕事なんで、そのままそこの避難所とかにいたようなんですけど。

 実家に帰ったのが10日ぶりかな。車も流されたし。店がなかったんで、物資が頼りな面はありましたね。電気も通んないし、ろうそくでしたね、1か月ぐらい。真っ暗でした。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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