東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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震災を通して得たもの―人とのつながり

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  • 話し手: 佐野孝治さん
  • 聞き手: 高橋あゆみ
  • 聞いた日: 2011年7月30日
  • 053/101
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震災直後に

 震災直後は、そんな酷くもなかったかねぇ。俺は夜勤明けで家にいたんですね。3日前くらいに1度おっきな地震があったんで、一応ある程度の子供の荷物だけはまとめてあったのと、いろんなものを持ってきてくれる人もいて、子供のことを優先で見てもらったものもあって、すぐすぐ困ることはなかったですね。嫁さんは、仕事行ってて連絡取れなかったんですね。職場が山田っていう山の奥ってことは分かってたんですが、火事があったので心配だった。次の日無事に帰ってきたんですけど、通れる三陸道路とかは軽トラで送ってもらいながら、いろんな道路歩いたって。16、7キロはあるんじゃないかな。避難所のあった小学校には体育館のジェットヒーターもあったし、マイクロバスが上に避難してて、100Vの電源もあったので、その辺はいくらかは良かったと思います。屋上にプールがあって、消火栓から水が取り出せたし。暖房も取れたし、毛布は4丁目とかから貰ってこれたし、うちの場合は嫁さんのおやじさんの実家が津波の被害はほとんどなかったんで、色々と世話になりました。

 被災したその日に、家があっても停電だ何だで来た人も含めて避難してきた人が多分300人以上いました。だんだんに落ち着いて、在宅に戻る人、親戚の人んちに行く人、花巻温泉とかに一時避難する人がでてきて、減ってきたんです。とりあえず最初は個人、会社、その他がいろんな物を吉里吉里の小学校の避難所に持ってきてくれて、今度それを避難所で使う分、4丁目・3丁目の在宅避難者の分って分配しました。その作業も酷かったですね。最初は、吉里吉里の役場の人が2人小学校に避難していて、役場との調整とかをある程度仕切ってたんですけど、役場の仕事が忙しくなったっていうことでいなくなったんです、1カ月するかしないかで。結局、吉里吉里地区の避難所関係の物の出し入れは、地区で担当者決めてやったんです。

 最初の頃っていうのは、電気も水道も止まって、でも人はいるという状況だったんですね。仮設トイレも来たんですが、小学校の水洗トイレも使わないと間に合わないといった時の水汲みとか、俺を含め、結局ボランティアの人たちがやりました。人がいなかったんでね。そんでそのうち夜勤もやるべっていう話になった。夜中もみんなトイレ行くから、すぐ水がなくなるし。最初のころは夜中でも人尋ねてくるから誰か受付にいないといけない。それじゃあ3人リーダー決めてそこで回すべってなった。役場の人がいなくなってからは、うちらで仕切れる人が仕切って、高校生とか大学生・専門学生で、冬休みで帰ってきた若い人達つけてやってました。ほとんど俺は面識はなかったけど、何人か知ってる人がいて、そういう人たちのつてで、またその知り合いの人が来てくれて。1日一緒に稼げば知り合いになるからね。

 でもほんとに酷かったよ。朝5時頃にトイレの水がなくなる。その時に水を汲みだしても、それは1時間後にはなくなる。あとは、朝も昼も夜もだけど家庭課室を使った調理場は動いてるから、給水車が来ないうちは飲料水の確保が必要だったし。小学校突っ切ってちょっといったとこに山の地下水出るとこあるから、そこに皆でポリタンク持って行って汲みだして。

 あと物資の受け入れと配布もね。最初は何もないから受けろ受けろと全部受けてたんですけど、衣類がもう、だんだんに余り始めて。足りないのは足りないけど、余んのは余って。そうして物があふれ始めたんですね。3月後半になってくると水とか電気とかは通ったけど、物資がひっきりなしに来て半端ねぇ量になって酷かった。振り分ける時に世帯数か、頭数で割るのか問題になったり。とにかく休む暇もなくね。今となっては、皆からあんときは大変だったねって言われるけど、やれることやっただけだし、俺1人じゃないし、結局みんなが動いてくれたから務まった。だんだんに落ち着いて、旧中学校の体育館に避難所が移った時に、大槌町役場の物資倉庫から自衛隊が物資を持ってきてくれるから、各町内会は直接受けてくれっていう流れになったんです。

 娘は寝つきは悪かったですけど、ハーモニカ貰ったりと、避難所の周りの人達もみんな普通にみてくれましたね。ただ生まれて初めて熱出したのが避難所で。元気は元気だけど、突発性湿疹で熱が40度まで上がってね。DMAT(災害派遣医療チーム)でちょうど大阪の小児科の先生が来てくれてたからよかった。熱が上がって診せに行ったんだけど、まだ電気もガソリンも厳しい時だったから、今帰れって言われて避難所に戻っても、次来れないかもしれない。それをしゃべったっけ、じゃあ入院して下さいってなって、入院したんだよね。

 この4月から、家から30秒くらいの所にあった保育園に行く予定だったんですけどね、家もそこも津波で全部流されちゃって、基礎しか残ってないから…。保育園は今度中学校の近くに立つのかな? うちは仮設に移ったので、車で送り迎えだね。ただ園長先生が、うちの嫁さんとかを見た人で、昔っから知ってる人なんだよね。俺は知らないけども、色々仲は良いみたいで、こういうところ、人の繋がりがあるとは思いますね。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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