東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

暮らしを語り、想いをつなぐ。

お問い合わせ

イカ釣り人生

漁業の復興を一番に願う

051-top
  • 話し手: 堀合陽太郎さん
  • 聞き手: 辻るり
  • 聞いた日: 2011年9月24日
  • 051/101

自己紹介

 名前は、堀合陽太郎(ほりあいようたろう)といいます。昭和8年8月29日生まれ、78歳になります。職業は、浜の方に出たりしてたんですけどね。まぁ、もともと漁師なんだけど、ずっと前は、イカ釣りの事業をやってたんですよ。私が若いうちはね、おやじがイカ釣り船の経営をしていたからね。その後、経営を受け継いだの。

 その後、大きな時化(しけ)があってね、船も壊れたので、事業は辞めて、自分一人で小漁商売のウニとアワビ採りだけやってたの、ずっと。アワビ、ウニ採りのない時期は、建設業でも働いたんですよ。二足のわらじで。すぐ近くに、その商売やってた人がいたのでね。子どもたちの生活のために。

 子供は4人。漁の方があんまり良くなくなったので、みんな別の学校に入れたので、漁師はしてないですけど。孫も4人です。前は、おばあちゃん(妻)と長男夫婦といたんです。長男が釜石のJRに勤めてますんで。今は、釜石の方の社宅にいるんですけど、私はここ(仮設住宅)にいるんです。

 おばあちゃんは、流れちゃってね。生きてたら76歳になる。これ(遺影)、あの、なんぼだ、8年くらい前かな。写真、流してしまったから。このくらいのしか見つかんなかったから。

 

黒い波

 テレビで、よくこうビデオで撮ったの映してんのね。で、「ああ、すごかったんだぁ」と思ってますけど、私たちは実物を見てないんですよ。津波に遭ってるけど、どういう風に来たかわかんないんですよ。だから私は、津波の大きいの終わって、うちから出て、高い所さ上がって。そして海の方見た時は、横の方にね、黒い波がたかたか立つように押し寄せていたの。それだけしか見ないです、大っきく来たのは。

 津波よけも壊れていたでしょ。転んでね。おもちゃのようだったんだなと思って。あの岸壁が出来て、津波よけができて、それを超えてくるっていったら、うちの辺までは来ないなと思ってたの。うちは、明治の津波のあった時には、海の方にあったんです。だから、安全なところに上がって建てたから、大丈夫だと思っていたの。そこまで来ないと思って、逃げなかったの。

 

おばあちゃんは見つからなかった

 ちょうどね、津波の時は、息子たちが仕事に出る時間だったの。ご飯食べたり、嫁さんが弁当の準備をしたりしてたんで。それで、地震が来ても、逃げなかったのね。海の近くの人たちは逃げたから助かったの。うちのばあちゃんも、逃げなかったですけどね。地震がするたびに、仏さんの掃除したりしてだったの。

 で、それで、道路側の人たちがね、みんな変な顔して上がって来っから、私は出てみたの。下の方、瓦礫が来てだったから。うちのばあちゃんが出てみて、それで終わりだと思ったんでないの。「息子たちのこと、行って見てきなさい」って言って出ていって。で、ばあちゃんが家に寄らないで、帰んないで、隣のうちの人たちが逃げていないのに気がついて、隣のうちのところ、海の近くの方に見に行ってきたんだと思う。

 それで、おばあちゃんが、隣の家まで行くぐらいだったから、私は2階に上がったの。2階に上がって、どのくらいの津波来るんだかなと思って見ていたら、おばあちゃんが急いで後ろを通って行ったんだ。だから、逃げたと思ったの。窓開けて、さぁ、どうかなと思ったら、津波が隣の家に来たったんだもん。だから、私も降りようと思ったら、今度は階段から水が上がってきて、ベットの上さ、首くらいまで。うちが倒れなかったから良かったの。息子たちは、第1波の瓦礫を見に行って、第2波に追いつかれて、息子は逃げきったけど嫁さんが追いつかれて、嫁を助けようとして息子は、あばらの骨を3枚折ったんだって。でも、助かったんです。で、おばあちゃんばり。

 で、自分は、2階から降りて、波が引いて、あとは大きいの来なかったから、もう少し高いうちの方さ上がって、海の方見たの。それから、降りてきておばあちゃんを探したら、どこにもいなかったんですよ。おばあちゃん、少し足が痛いって病院に行ってだったからね。元気な人なら助かったんだけどね。流れたんですね。まだ、見つかんないの。



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
「聞き書き」とは 詳細はこちら 一覧はこちら