東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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人生3度目の被災

すばらしい町、志津川に生まれて

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  • 話し手: 勝倉彌司夫さん
  • 聞き手: 山本満
  • 聞いた日: 2011年10月22日
  • 054/101
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震災前の志津川での生活

 志津川は海や山の食材が豊富で、食料にも困らない、観光に力を入れて、人工の海水浴場なんかも作って、自慢のできる町だった。それが一瞬でこういう風になってしまったんですが、一番課題だったのは人口の減少、少子化だね。学校がだんだんだんだん廃校になったり、統合になったり、複式になったりね。複式ってのは、ひとつの教室で2年生と3年生の子供が授業やったり、1人の先生が2学年教えたりすることです。

 私も何不自由なく生活してましたよ。毎日、庭の手入れをして。庭も津波の来る1年前に大金をかけて作ったばっかしなのに、みな流されてしまいました。でも、よくみんなに「津波でいろんなもの流されて何が惜しかったですか?」って言われるけど、惜しい物ばっかしで何も言えないのよね。命だけはあったから、それだけでいいかと。私の同級生や知人にも、家族全員を失った方もいるし、いろんな方がいるし、それらを考えればね。

 私は、先ほど言ったように、校長、教育長、シルバーセンターの理事長をやったりして、ずっと町と関わってきたので、町内の方はほとんど私を知っているし、いろんな方にお世話になってるわけだから、これからも、どんなことがあっても、ここで生き続けたいと思ってる。この町はすばらしいですよ。ただね、自然の脅威にはおそらく勝てないけれども、それと上手に付き合ってね。やっぱりこの町のすばらしさを、後世に残していくってのは、我々の大事な使命だと。津波が来るからってみんな町から離れてしまったら、この町がかわいそうですよ。私はそういう意味で、必ずこの町で生き続けたいですよ。

 

津波が来た時、その時私は…

 津波来た時には、シルバーセンター事務所にいたのよ。そしたら、事務所の女の子が持ってきたコ―ヒーが揺れてふっ飛んだのよ。そのうち、これはダメだということになって、皆避難しなさいと。それで避難することになって。息子がうちにいたもんだから、うちに帰って、高台に避難しようって言って。避難をしようと思ったら、途中で車がパンクをしてしまった。でも、渋滞してしまったら後ろの人が動けないでしょ。そこで、パンクのまま300メートルくらいずーっと進んで、志津川小学校の高台に上がって。それから10分くらいして津波の第1波がきた。だから、そこでうろうろしてたら、今頃命がなかった。それから9日間、学校の体育館で立ったまま寝たり。あのころ寒かったから、雪が降ったりねぇ。でも、いろんな人達がおにぎりや水を持って来てくれたりして、みんなで協力をしながら避難生活をしました。

 被災して、最初はやっぱり家族が心配だったね。息子には電話で連絡したんだけど、繋がんなくて。息子と連絡ついたのは3日目かな。全然通じなかった。瓦礫の中を歩いてきた。そして今度は、私が無事だってことを息子が横山って峠に約2時間くらいかかって、娘に教えに行った。だから、家族が無事だって分かったのは3日後くらい。携帯も通じなかったし、電池も切れてしまうしね。

 親戚の確認をしたのも、しばらくしてからだもんね。「おぉーあんたも助かったのかい」って抱き合ったよ。その会話は「よかったね、無事で」ってそういうもんですよ。物がなくなった話なんかはしないですよ。最初は、「無事でよかったね」と、「どこにいるの?」、そしてあとは「お互い頑張りましょう。」とね。それだけだと思う。

 

避難所で、規律をもって乗り越える

 物資が来たのは、3日目、2日目あたりかな。おにぎりなんかは、次の日から来たけど。毛布も3日目かな。兵庫県の物資が一番最初だったね。一番はトイレが大変だった。水洗便所があって、プールがあったから、大便をしたあとはプールから水を汲んで来て、それで流すようにやった。最初は役場職員が運んでたんだけども、みんなで順番を決めて運んで、そして流す。それも自治会で、今日は何班が掃除とかルール決めてね。

 時にはいろんな要望が必要なんだけども、役場職員の言うことなんて、なかなか聞かないんだよ。だから、例えば物を配布するときとかに、避難所の中で責任者を決めて、班員を決めて、「今日は物資を何班から渡しますよ」とか、「何班は何人いますよ」とか、きちんと名簿作ってやっていかないと、多くもらったりとかいろいろあるでしょ。規律ってのは大事なんだよ。ああいう時にはパニックになってしまうからね。みんなで知恵を出し合いながらやんなくちゃいけない。人と人との「絆」の大切さを痛感させられましたね。

 

やはり、車で逃げてはいけない?

 私は、たまたま山に近いから逃げれたけど、今回の津波では車で逃げて助からなかった方が多かった。みんな山の方の高台目指すでしょ。結局渋滞になってね、迂回路もないし。だから、これからもし町づくりをするんであれば、高台への放射状の道路が必要だね。避難路の確保が大切だね。今度の町の構想なんか見ても、商店街や水産工場などは下でもいいから、住宅は高台に、何かあったときには、そっからすぐぱっと避難できるようにしないといけないね。

 



■ 宮城県南三陸町志津川

宮城県南三陸町
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