東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

暮らしを語り、想いをつなぐ。

お問い合わせ

復興の中心になる今の子供に正しいケアを

SONY DSC
  • 話し手: 佐藤貞興さん
  • 聞き手: 佐藤万貴
  • 聞いた日: 2011年10月22日
  • 055/101
ページ:2

教師としてのスタンス

 ほんとは私ね、体育がいいかなと思って。こう言っちゃなんだけどもさ、もうずっと小学校中学校高校と、体育は他の人よりかはうまかったんだ。皆さんは、私が将来教員になったらば、多分体育だろうって思ってたんだって。

 でも理科は37年間、やって良かったよ。自分が楽しいもん、うん。教える方が楽しいってことはさ、受ける方も楽しいんだよ、多分。だから、理科だけはまず、生徒も頑張ってっけるからさ。ただ、子供達がその理科でなんぼ身についたかどうかは分かりませんよ。受ける授業が楽しければいいんだ。どこまで責任取るかって難しいんだ。教員は教えたことについて責任を取りなさいって言うんだけどもさ、それでも1時間1時間分かる授業すればその責任の一端をとれるだろう。そういうのが私のスタンスだったから。

 

チリ地震の時との違い

 5年生の時に、チリ地震に遭ったんですよ。そしてねえ、同じクラスの女の子が1人死んだんだ。チリ地震津波ってのは、三陸でも旧志津川町、ここね、それと気仙沼市。鹿折(ししおり)っていって、今回の地震と津波で火事になったとこあるでしょ。あそこが大被害を受けたんですよ。ここでも四十何人死んでんだ。志津川にあった私のうちは、1階だけが水浸しになったんですよ。で、2階に寝起きして。だから、津波は2回目です。小学校は1階廊下だけが水浸しになったの。だから3週間後には学校始まったんだ。ごくごく普通にね。

 

必要な防災訓練の形

 ここではさ、5月24日のチリ地震津波の日に、南三陸町の各学校で必ず避難訓練してんだよ。それから、地区でも町でもしてんだよ、防災訓練だけは。私思ったのは、チリ地震津波を想定した避難訓練だったの。チリ地震ってのは、わーっと来たんじゃなくって、地区によっては波が静かに来て5m上がって、ひゅーっと引いただけだった。屋根の上に登った人も助かったし、畳の上にいた人も助かったんだ。だから防波堤の高さも5m。あんな20mも波が来るとは思ってない。今まで訓練やった50年間は何なのって。誰があれを基準って言ったのかな? 勝手に皆思ったんだよな。

 学校では、校長として子供たちにはこう教えんだよ。「自分の命は自分でしか守れないからね。いいですか、他人をあてにしたらダメなんだよ。危険を感じたらば、すぐ逃げなさいよ」って。勤め先でも避難訓練はすんのね。だけどもチリ地震津波を経験した方々は、頭ん中では、「前に来なかったから今回も来ないだろう」という思いがあったんじゃないの。私も逃げっ時はそう思ったの。今夜帰って来れるだろうって。

 チリ地震津波は日本に津波が来る前の日にハワイに来て、分かってたから準備もあったけども、今回は準備も何もねかったから。地震2回来てすぐだもんな。それでね、逃げ遅れた方々が大分いるんじゃないかな。防災対策でも、想定っつうのにあんまり重きを置くと、こういう被害がおっきくなんだな。今回は1,000年に1回の地震って言うけども、今度は偶然にそうなったけども、また明日来るかもしれんしね、そんときは全然分からねえんだよ、自然災害だから。そうなるとやっぱり、基本は自分なんだよ。警報来たらば、仕事も放りだしてもよいから、とにかく逃げようっていう条件反射を植え込むことを徹底していかないとな。それはやっぱり小学校からやっていかないとダメなんだなぁ。自分の家から学校までの間で一番近い高台どこなのかってことを、シミュレーションしながら防災訓練をしないとだめだなぁと思った。もう少し学校での防災教育ってのを考えなきゃだめだなあ。マニュアルで全部決まってるんだ。ところが、臨機応変にしなければだめなんだ。私だって、避難所に1回上がって波来たからまた上がって、今回3回上がったよ。私んとこは裏山だから50mまで登れっけど、登れないところはどうすんだべかなーって。

 

子供の心のケアの必要性



■ 宮城県南三陸町志津川

宮城県南三陸町
「聞き書き」とは 詳細はこちら 一覧はこちら