東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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わたしの居場所

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  • 話し手: 門崎タツさん
  • 聞き手: 古澤杏奈
  • 聞いた日: 2011年9月24日
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吉里吉里は人の温かさが魅力

 門崎(もんさき)タツです。生年月日は昭和14年の8月16日です。72歳。吉里吉里生まれの吉里吉里育ちですのでね、うちのお父さんもそうです。家族構成はわたし夫婦、あと、息子夫婦…はい、同居だったからあ。あと、わたしの娘もいます。あと孫が2人。息子の年齢はちょうど40くらい。娘はね、45で独身です。孫はね、4年生と2年生。女の子です。孫は息子夫婦の子供。お嫁さんもね、とても吉里吉里の好きな方だったので、お父さんは来られなくてもね、お嫁さんは子供たちを連れて毎年2回ずつね、来てきてだったんです。息子がいなくても。そのくらいね、こう、なんて言うんだろう、吉里吉里を好きでね。孫たちも喜んでそうしてだったから、じゃあ1年生に入るとき、こっちのほうに来たほうがいいんじゃない、って言って。

 わたしから見てもほんとに、住み心地がいいっていうのか。ほんとに、みんなが。まあ、お友達も身近なところでやさしい人が。

 

海の男を支えてきた

 旦那、お父さんは、長い間もう何か月も漁師、船乗りだったんです。結婚したのは38です。同級生です、はい。吉里吉里生まれの吉里吉里育ちで、お互いに。

 やっぱりね、何か月も…3か月か6か月っていうときもあったから、いないのが当たり前のようなね、わたしたちの生活だったんです(笑)。ほんとに。こっちに来て、長いほうで10日いて、けど、またすぐ行くんです、海のほうに。

 ここにいる生活、ここで働いてくれるのがいいなあ、とは思ってだったけども、やっぱり若いときからマグロ船に乗ってだったから。わたしだけじゃないから。けっこうの吉里吉里の人たちが、このマグロ船に乗ってだったからね。そで、東京、焼津方面に入港するんです。だから年に2回ぐらいは、わたしのほうから東京に。子供のちっさいときは子供も連れて。計画は全然してないんだけども、帰ってきてから、即、行こっかあ、とかって、温泉とかに行ったんです。子供たちも小さいからね、もう、喜んで行ったっだっけども。

 お父さん、やっぱり海のねえ、荒波をあれしてあるった人だから、気が…なんていうかね、やさしいところもあるんだけども、気が強いっていうか、厳しい、っていうのか。前はうちにいるのが何日でもなく、もう、すぐに沖に出ていかなければないような状態だったから、あんまり感じなかったんだけども、いま思えばね、やっぱり海の男だなあ、って。それが今、こう、ちょっと…出るようになっちゃって(笑)。

 お父さんは、子供たちに何か月も会えないから、やっぱり来ればね、子供たちの好きなものを何でも即、買ってくれるような状態でねえ、うーん。ちょっと、あんまりねえ、好きなものを与えてってことはダメなんでないの、って思うあれだったけど、お父さんがやりたいって言うの、ダメだよって言うのは…。

 

おばあちゃんっこの孫を育てながら

 若いときはね、加工組合、魚をいろいろ加工する場所で働いて。みんな、たいていのお母さんたち働いてだったんです。わたしのとこにおばあちゃんがいだったから、子供たちの学校の帰りも面倒見てくれたりしてね。いまはわたしがそれをやってます。

 この前初めて1泊の旅行に行きました。このへんだけども、盛岡方面の、小岩井の温泉とか、家族で。親戚の人も入れて8人で行ってきました。孫たちとそうして行ったのは初めてです。こっちに来て4年になるんだけど、なかなか、どこにも行けなかったけども…。楽しいって、子供たち。また行きたいって。うん。また来週も行こう、ばあちゃん、って言って、ねえ。簡単にそう言ってるんだけどね、初めてだったから喜んで。雪が降んないうちにまた一緒に行こうねえって。仮設がね、別々なんです。孫たちは今は息子たちと。わたしはおじいちゃんと娘で3人で。

 まずねえ、子供たちが気に入ったみたいでね。うふふ。そんなにそんなにね、みんなが必ずそろうってことは、なかなかね。お父さんお母さんの休みも考えなきゃないし。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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