東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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わたしの居場所

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  • 話し手: 門崎タツさん
  • 聞き手: 古澤杏奈
  • 聞いた日: 2011年9月24日
  • 056/101
ページ:3

一生の感謝

 盛岡の、紫波っていうところからね、バスが迎えさ来るって、避難所に。だけども、おばあちゃんも亡くなったばっかだから、うちのお父さんもここに残りたい、紫波まで行きたくないって、わたしも同じ気持ちなんだけども。孫たちの食べるものから、着替えもないし…。

 紫波に行って、テーブルにおにぎりとか、豚汁とか、あったかいの用意してくれたんです。みんな涙を流しながら飲みました。9時になったら温泉。9日目でようやく。足ケガしてたけど、ビニール袋でこう覆って。

 「ご飯だけは、米だけはいっぱいあるから、ずっと、ずっと何日でもここにいてください」って言ってくれたんです、紫波の人たちが。紫波の小学校と吉里吉里小は30年の交流があったんです。何日かして、わたしたちで朝食を作ったんです。「食べたい食事があるだろうから」って言われて。娘も、わたしも。ドレッシングをね、急きょ作ることになったんです。醤油、お酢、砂糖、醤油だけじゃねえ、あれだから。混ぜて、白菜のおひたしに。それを紫波の人も食べて。その後、教えてって聞いてきました。吉里吉里ドレッシングって呼ばれてねぇ。おいしい?って聞いたら、おいしいって! よかった。1食でも、がんばって作って。

 ずっといたかったけど…子供たちの小学校が始まるから。みんなに優しくしていただいた。生徒も先生も涙で…。みんなで登校して、お友達もいっぱいできて。お母さんにもいろいろいただいたの。

 小2の子が熱出した時も、一晩中ついててくれたり、わたしの足の病院にも連れてってくれて。みんなに優しくされて、本当に助かりました。感謝です。みんなの優しさですね…。あったかい布団に食べ物…。一生の感謝です。

 孫は手紙のやり取りしてるみたいねえ、紫波の友達と。わたしも書きたいんだけども、なかなか書けなくて…。人間の優しさっていうのが、目に見えました。孫たちとも、忘れないように、「紫波に行ったとき、ああだったがねえー」って。日本中の人たちからお世話になりました。みんなに感謝の気持ちで…。

 

願いはやっぱり

 まずね、家族が一緒に、生活が…できるようにね…。いま同じ吉里吉里にいるんだけども、広いところでねえ。また、うちが造れる場所…。どこに…もう、造れるんだか、全然いまのところ見通しがないって。流された場所にはもうダメ、っていう…。どのへんまでダメなんだか。もとの自分の場所にはもう、うちは建てれないし、これからも指示を待たなきゃないのかなあって、わたしたち、この頃、言ってます。遠くのほうには出て行きたくないしねえ、もとの吉里吉里がいいねぇって、どのへんまで建てられるのかなぁ、って。

 昨日もね、その話したん。いつになったらまたおんなじところに建てれるべがねえ、って、うん。やっぱり吉里吉里でずっと、ねえ。生まれ育ったところだから。みんなもそう思ってると思うけど、わたしたちもそう…思って。

 頑張ろうねえって、息子たちにも言ってます、はい(笑)。その場には建てられないって言われてるからね。

 

元気である原動力

 孫たちに手をかけてあげたいなあ、と思って。そのためにも元気でいなきゃだめだぁって、元気でいたいなあと思ってね。こんなよな状況だから、一番痛いとこ出したくないねえ、ってみんな…。お茶を飲んでても、飲んでる方もみんなけっこうそう言ってますけど、うん。痛いとこ出さないように頑張っぺねえ、って。

 

【プロフィール】

話し手:門崎タツさん

岩手県大槌町吉里吉里在住の72歳。震災前は、夫、娘、息子夫婦、孫2人の計7人で同居しており、孫の面倒を見る毎日だった。震災後、仮設住宅で夫、娘の3人で暮らす。

聞き手:古澤杏奈

慶應義塾大学文学部人文社会学科1年

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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