東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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大工一筋40年。友だちいっぱいつくって家族を支えた

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  • 話し手: 川原繁夫さん
  • 聞き手: 鏑木洋子
  • 聞いた日: 2011年9月23日
  • 057/101

自己紹介

 名前は、川原繁夫(かわはらしげお)です。昭和29年10月8日吉里吉里生まれ。いま56歳。もう少しで誕生日になります。吉里吉里生まれのかあちゃんと、末っ子の娘の3人暮らし。子どもは5人いて、大船渡に住む長女、カツオ船で漁師をしている長男、大船渡で警備員をしている次男、次女と三女です。仕事は大工。15のときからもう40年以上、大工一筋。

 俺は3人きょうだいの次男。兄と姉がいるの。兄貴と…まあ父が亡くなったから、母が中学校のところの仮設に行った。あと、姉は地元の人と一緒になったんだけども、神奈川のほうに行ってます。おら、養子の子だったのさ。父の妹夫婦に子どもがなかったんです。だから俺、生まれて3カ月ぐらいで養子に行ったって。叔母さんが、小学校2年の12月に亡くなったの。それでね、叔母が亡くなったために自分の親のところさ来たんだけど、3年の時に、元の姓に名前が変わって、そして自分の親だか親でねえか、俺もわかんなかったけど。だから俺、小学校になってからわかったんだ、本当の親。

 

昔の遊び

 小さいときの遊びは、夏は海に行って泳ぐ、海水浴場で。けっこう砂浜があったんだけど、砂でボール作るの、丸く。人からちょっと砂をかけてもらって大きく。落としてね、どっちが堅いか競争するの。でね、夏っていえばジャガイモ掘りがあるんですよ。7月頃、ジャガイモがちょうどね、でっかくなりますよね。同級生同士がさ、ジャガイモ持ってきて、鍋に全部やって、薪集めて、火つけて、煮て、食べんのさ。お昼代わり。芋の子会っていうふうな感じでね、ジャガイモ煮だけど。そういう時代だったの、本当なんだけど。帰りにその鍋に、ウニとか、アワビとか、獲った魚を入れて、そのまま持ってくるのさ。で、友だちで分けて、その日はそれで終わり。そういう遊びもした。

  冬場の遊びっていうのはね、田んぼで渡り鳥捕ったりした。漁師が使う網に仕掛けをして、入り口に餌撒いて、鳥が入ってきたらバタンと引っ張るようにするのさ。あとね、どんぐりごま。おら、山から木切ってきて、底をとがすんですよ、鉛筆みてえ。でね、底に砂を撒いて、紐でビュンって叩くんですよ、どんぐりごまってね。

 5月5日は、友だちとみんなで山に行って小屋を作って遊んだりね。5月5日が来る前の休みや日曜日を使って、枝に木をいっぱい乗せて、小屋みたいに作るんですよ。それで、5月5日になって、そこでみんなで料理食べるの。あと、この部落にね、旗を吊るすんです。日の丸とかさ、アメリカの旗から、イギリスとか、いろいろ描いて、5月5日は、必ず朝早く起きて、道路に綱で吊るすの。だからね、5月5日っていうのはね、ほんとうににぎやかだったよ。このへんはお祭りみたいだったよ。旗を吊るしてね、で、山に向かって、夕方になって帰ってきて、その旗を取りはずして、ちゃんと片付けてね、それまでやったね。小さいときはそういう遊び。やらなくなったのはね、中学校2、3年のときからやらなくなったね。

 雪が降ればね、みんなそり滑りってね。それと、竹でスキー作るの。今のは、プラスチックでしょう。竹を半分に割ってね、火にあぶって前を上に曲げるんですよ。それで自分でバランスをとって、スーッて滑ってく。

 俺は、海も山もどっちも好きだから、どちらもけっこう遊んだよな。いまの子どもさ、昔のことだからって、あんまり聞きたがらないよね。いまの生活と昔の生活は全然違うけ。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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